陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-01-23

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MMTにも良い子悪い子普通の子が有る


MMTが議論されるが、
よく考えると、問題の論点を間違えているようだ

要するに、緊縮財政と財政出動の問題である
簡単にいうならば、お金を使うか使わないかの問題だろうが
一方で、一体何に使うのかの問題が潜んでいる。

現実には、今まで政府は借金を重ねて

お金をいっぱい使ってきたので借金が膨らんで1200兆円を超え、
更に膨らもうとしている。

MMT論者の人たちは、政府はプライマリーバランスを取ろうとして支出を渋っているというけれど、実際はどうだろうか

現実は、数字を見れば一杯支出をしている。

これだけの借金を重ね、お金を使っているけれど景気を良くすることが出来ていないということは、お金の使い方が適切ではなということだ。

要は、簡単なことだろう
何事にも良い子、悪い子、普通の子が有る
緊縮にも財政出動にもこの物差しを当てはめるべきだろう。

使ってよいお金と
使ってはいけないお金とが有るということだ
要するに、善悪の判断の問題なのだ
その価値判断を横に置いて財政を論じるなど
何の足しになるというのか

三橋氏などの話を聞いていると
その価値判断は横に置いて、財政出動全てが正しいように思っているようだ。

使っていいお金と使ってはいけないお金とが有る

公明党(創価学会)と三橋氏の考えは近しいのかもしれないが
善悪の判断が出来ないということは致命的な欠陥だということを知るべきだ

幸福党市議の「給付金=合法的買収」指摘を、公明党議長が取り消し命令 「正論」を圧殺する地方自治法の濫用は許さない | ザ・リバティWeb/The Liberty Web (the-liberty.com)

私のような無学なものから見ても簡単な価値判断なのに・・・・
あまりにも、表面的な結果主義でのご都合主義がまかり通っている。
たしかに、お金をもらえることは嬉しいけれど
それで本当に良い方向に向いていくのかどうかが見極めることが出来ないというなら
政治に関わることは、その資格は無いということだ。

政治とは、神に代わってまつりごとを執り行う事
神の視点から見て善悪の判断が出来ないのなら
その資格は無い。

MMT問題も、この神の視点から見ようとしない限り迷路に入り込む

アメリカのMMT論者のオカシオコルテス氏は典型的な左翼であり無神論者なのだから無理は無いだろう。
ケルトン氏にしろ三橋氏にしろ唯物論、無神論者なのでしょう。
数字だけを見て、善悪の判断が出来ないということは、致命的な間違いに落ち込むでしょう。

善悪の判断を民主主義に頼り過ぎても問題です。
現代社会は、神無しの民主主義になっています。
個人の目先の損得だけに頼っていて良いわけが有りません。

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