陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2022-01-16

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世界は、思い(陰)と・行い(陽)で成り立っている

世界は、見て、思って(陰)・行って、結果(陽)が出て
それが循環し重なって成り立っている。

ということは、論理的に説明がつくという事だ。

物事を正確に見るためには、より科学的に観る必要がある。
科学的に観るためには、論理性と客観性が必要だろう。


論理的考察

論理性とは、タテ(時間)軸で積み重ねての観方
客観性とは、ヨコ(空間)軸での立場(主体)を替えての観方
上の図は、論理性を可視化しようとしたものだ。

各課題で思った結果が得られない場合、必ずどこかに不適切なものが入っている。
その原因を方法論の間違いと見やすいけれど、原因の根本には、間違った世界観があることが多い。この世界観が唯物論、無神論なら、どうしても自分を主体として考え目先の結果ばかりを見るようになることで他者との調和を欠いてしまう。

そして、結果にこだわり過ぎると「思い」の中に結果ばかりが入り、結果主義になる。人、時、所が違えば、同じ行動でも善悪が変わって来るように、対応を変えざるを得ない。例えば、死んだら全てが終わるという世界観と、死んでも魂は残り、来世、来来世が有るという認識では、当然ながら人生観も違い生き方も違ってくる。
前者の場合、創造主、神なる存在も否定され、主なる存在は自分になり、客観的に観られなくなる。

世界観は、大きく分けると無神論・唯物論という神無しの世界観と、唯心(神)論の神有りの世界観に分かれ、さらに4つに分けて観ることも出来る
         無宗教・一神教・多神教・至高神
この違いと、その中身が、その社会と未来を創るといっても過言ではないだろう
無宗教の国家の代表は、中国と北朝鮮。特徴は、結果にこだわる、その強引さにある。その強引さは、一時成功したとしても、長続きはしない。
結果(陽)の背景に「愛」(陰)のないモノは、循環し拡大再生産されることが無い為にその存在を継続することは出来ない。
その成功は、協力者共々、地獄につながることになる。

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