陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-12-29

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創造主の存在

創造主の存在

私自身、死後の世界が有るか無いかは、行ったことも無ければ、霊的な能力も無い為に、ただ信じているしかすぎない。
しかし、この創造主の存在を考える時に、死後の霊的な世界が有るだろうという確信に至る。


その理由は、非常に簡単だ。
私は、土からいろんな器を作る。
その時に何が必要で不可欠なのか、その過程を考えると見えてくる。
どんなに材料や道具がそろっていても、ただ一つ、絶対必要十分条件がある。
それは、作ろうとする思い。欲しいという願い。
そのイメージが無ければ、不可能なことだ。

土で作られる器であっても、そのイメージ、思いが不可欠なのに、この人間の体を考えてみても、これほどの高機能の肉体が偶然に進化して出来上がって来たとするのは、あまりにも思考停止でカルト教の如くある。

地を這う生き物が空を飛ぶようになるために何が必要なのか考えると、もっとはっきりとしてくる。

空を飛ぶための体(ハード)と技(ソフト)、両方がそろわなければ飛べるようになれない。その両方を獲得できるまで、どれだけの突然変異を繰り返せばよいのか、どのような偶然がどれだけ重なれば可能なのか、その過程をイメージすることが出来るだろうか。

生物である以上、一回でも間違えばゼロからやり直す必要がある。
丁半博打で常に勝ち続けなければ進化という結果を獲得できない。
何者かが生み出そうと思い、イメージを投影しなければ存在できないのだ。
こんな単純な理屈を無視して、ダーウインの進化論を信奉している人達の頭の中はどうなっているのだろうか。無神教というカルト宗教の信者達だということだ。

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