陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-12-24

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大切なことは目に見えない

無視すると、その価値は消えていく

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お金とは何か?という議論がある。
あるMMT論者は、お金とは、債務と債権の記録として数字でとらえている。
また、ある人は、物としてだけ認識している人もいる。
共に唯物論者の見方だろう。

フラクタルの森的に言うならば、陰陽両面で見るべきだ。
その価値が有ると思われ支えている原因も一緒に見なければならない。
何が、誰が、その信用をどのように担保してくれているのか。

MMTは、政府の支出は国民の所得になるとして財政出動を推奨する。
また、片方は、財源を無視していては、たとえ自国通貨建ての借金では破綻しなくても将来社会にツケを残すことになるとして緊縮財政に加え、愚かにも消費税増税に血道をあげる。
双方ともに、信用の大元を見ずに経済を破滅に導こうとしている。

その信用の中には、アダム・スミスの言う「神の見えざる手」が働いていることを知るべきだと思う。神の見えざる手は、信仰心が有り、良識ある人々の心の中に有る。

専門家が言うように細部に入り込めば難しい理屈もあるのかもしれないが
両目で単純に見れば一般企業と同じことで、その仕事(通貨という商品や行政サービス)に価値が認識されなくなれば、その仕事は継続出来なくなる。

かろうじて、円は、その信用を確保しているけれど、このまま借金を積み重ね、通貨発行量を増やしていくようなら、実体経済とのギャップからその信用は失われていくだろう。

現在1200兆円の借金があり、徳政令で借金をチャラにできるとしても、そのような政府を誰が信用するだろうか。
徳川幕府の末期に似た状況が起きているのだろう。

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