陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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蛇行現象

フラクタルの森で考えると
社会現象の中に有る蛇行現象がよく目につく

そううつ病だ


そう状態とうつ状態・高調期と低長期
バイオリズムではないけれど、必ず波は有る。
この波があまりにも強く出るようだと病的になる。

そう状態は、進歩を基調にした時
うつ状態は、調和を求められる時に起こる
蛇行現象は二つの極で起きる。

この社会の様々なことで、不都合なことが起きているなら蛇行現象が起きているということだ。
陰陽のバランスが崩れている。

今、思い返してみると
私の陰陽学の始まりは、40年ほど前、二人で仕事をしていた、あるおじさんとの関係が発端に有る。。

人は良いけれど、うだつの上がらないおじさんとの関りで、私は、非常にその人を観下げていた。しかし、ある事がきっかけで視点を変えてそのおじさんを見た時に、自分自身が恥ずかしくなることが有った。

ただ、その人の長所を見ようとしただけだったが、穴に入りたい気分に襲われた。

その時思ったのが、人には大きく分けて二面有る事だ。
その当時は別の言葉で整理したと思うけれど、要するに、人には左脳的な優秀さと右脳的な優秀さが有るということ。

どちらが人として良い事なのか?
考えると、出た答えは、どれほど機転が利いて頭が良くても、人が悪ければ何にもならないということ。
人の好さを計る物差しは難しいけれど、これが無ければ何にもならない。
下手に小利口なより愚鈍であっても人として暖かく善良な方がマシだ。

そのころから、私はスピリチュアルな世界へと導いていかれたようだ。

世界は二つの価値観が交錯して成り立っているように思った。
「世界は、全て、陰と陽で成り立っている」
調和を中心に置こうとする陰の面と
進歩を中心に置こうとする陽の面だ

その後、10年くらいして幸福の科学が始まり学び始めた時に
大川隆法総裁が言われた言葉がダメ押しとなって独自の陰陽学の世界に入っていった。

それは、この宇宙が始まった起源、創造主がこの宇宙を創ろうとされた根本理念が「進歩せよ、されど、調和せよ」だということ。
そうであるなら、すべての事にはこの二つの要素が絡んでいると考えた。

進歩が陽であり、調和が陰である
陽は眼に見えやすく、陰は眼にみえにくい

陰は、右脳的であり、血液型で言うならO型とB型のライン(悟性・感性)
陽は、左脳的であり、血液型で言うならA型とAB型のライン(知性・理性)
この二つの要素が二重らせんの如く関り波を打ちながら遺伝子の如く全体を支配している。
これらが、論理性の中にもフラクタルとして絡んでいる。

とても複雑になるのだが、簡単に言うならば
二つの眼で常に見ようとする姿勢が大切なのと
もう一点、その二つの眼で見える立体像を大切にするということだ。
その立体像の中に、神の眼と重なる部分が有る。
客観性の極みである自と他と全体の視点だ。

額の真ん中に有るとされるチャクラで見ようとする努力が不可欠なのだと思う。そこで善悪の判断をしなければ、良かれと思い成した仕事が、逆の効果を生み出していく。

あまりにも、そんなことが、この現代社会には満ちている。
「地獄への道は、善意で舗装されている」
良かれと思い成していることが、周りの人を家族を含めて、もし、不幸にしているとすれば、あまりにも悲しいことだ。

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