陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-12-11

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今、次女が二人目の出産の為に

一歳半の孫を連れての里帰りだ
まだ、一人は顔を見せてくれていないけれど
いっぺんに6人家族
大きく生活リズムが変わっている


以前に書いた文章だ
・・・・・・・・・
「子を持って知る 親の恩」
ということわざが有る
これは、否応なしに理解できた

次に「子育をして知る 神の願い」
これは、
子育の中、色んなことを経験するにつれ浮かんできた言葉だ

親と子の関わりと、神(創造主)と人間との関わり
これは、フラクタル
似ているようなのだ

健やかに、より良き人生を送って欲しい
怠惰で自分本位にはならないで欲しい
より素晴らしくなって欲しい
感動と共にその愛の姿を見てみたい
創造の神も私たちと同じようなことを考えて
生み育んで来られたのかもしれない

そして、孫が出来ると
その孫はとても可愛いという
なぜ、目に入れても痛くないほど可愛いと言われるのか
その理由は、おそらく、創造主の喜びと同じものがそこには有るからだ

「孫を持って知る 神(創造主)の喜び」
わが手を離れ、その愛の営みが自己展開しながら
より良き世界を創り出そうとしている

当然ながら、親にも良い親、悪い親、普通の親がいる
良い親の中でも最高の親をイメージして想うことが出来るなら
神が、私たち人間に願っていることは見えてくるはずだ

この社会の中の善悪も
その視点から見ることが出来るなら
おそらく、はっきりと見えてくることだろう

全ては、フラクタル
似ているからだ

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