陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-11-26

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この宇宙は「愛」で出来ている

大川隆法総裁の教えに、この宇宙は愛で出来ているというのが有ります

この言葉を私は信じます
と、同時に私のフラクタルの森に入れて考えると
信じるということを突き抜けて
「この宇宙の全ては、愛の思いで出来ている」という事を確信せざるを得ません


全ては、創造主の愛の思いから出来ている

何故なら、どのような課題であっても、すべての事象の中に「なぜ」が有る
この「なぜ」の中に入るものは、突き詰めるなら
思いであり、動機であり、設計図であり、かくあれという願いであり
「愛」だからです

仕事

ここに善きものが入らない限り良い結果にはつながらないし
その存在を継続して維持できないからです

と言っても、
いつの時代にも善いとは、とても思えない動機で生きている人達が居ます
そういう人達は、動機の中に「結果」を入れている人達です
強引に結果を得ようとする人達であり
その最たる存在が悪魔であり悪霊たちです

そのような存在も、神は存在を許され
それらも創造されたかのように見えます
ただ、すべての存在が神の子、仏の子であると言われるように
神と同じ性質を分け与えられている為に、創造の自由が与えられている
その自由性を使って、自分自身も、そして自分の周りの存在も造っていきます

もし、それが、創造主の願いから離れていたとしても
例えるなら、わが子や孫が道を外れて自堕落な生き方をして
周りに迷惑をかけるような人生を生きたとしても
その存在を消すことはされず、暖かい視線で見守り続けるようなものでしょう

いずれ自分の過ちに気づいて改心し、その間違い自体も自らの肥やしとして成長してくれることを願われている
永遠の転生輪廻の中で、魂は継続し、様々な経験を心の中にファイルとして持っており、魂としての器の大きさを、より素晴らしきものと成して欲しいという思いでおられるようです

その勘違いして結果主義となっている悪人的な存在を通じて
周りの人達の学びとして、そのような状況も黙認されているのでしょう
自分たちで解決する術を学び、自分たちへの教訓とするようにも願われているのでしょう

この世は仮の世界であり
あの世と言われる世界が実在であるというのが、真理のようです
丹波哲郎さんも色んな諸宗教の研究をした末に
この世は修行場所として設定されている世界だと信じておられました

修行場所であるために、お釈迦さんの教えでも四苦八苦が有る
苦しみも、悲しみも、四苦八苦も、厳しさも、全て愛の思いが背景にある

正直言って、あの世が実在世界であり
この世が、仮の世界、修行のための世界と言っても
この世で生きている自分たちとしては、なかなか信じることは出来ないでしょう
そのように信じている私自身でも、確信まで至っているかどうか問題です

ただ、悪なると見えている事象を通して自分自身が鍛えられていることは実感しますし、その解決方法をこのようにして考えている中で
新たな気づきが生れます

そして、その中での喜びの中に、おそらく、創造主の喜びでもあるのだろうなと思えるようなことが出てきます
この「なぜ」の中に出てきて浮かび上がって来るものの中に「喜び」が有るのです

この神の創造には、喜びが有るがゆえに愛が存在している
愛を与えることの喜びでもあるのだろう
歳を経て孫が出来る頃になると
この喜びが実感できるようにもなるようで
創造主の喜びと似たものを経験しているようです

粘土で器を作る時にも、この喜びを忘れてはならないと思う
仕事として、商売としてやりすぎると
ついつい、結果主義になってしまいそうになるけれど
神の思いの原点に返り、常に喜びと共に創造が出来るように
心の修業が必要なのでしょう

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