陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-11-22

Top / FrontPage / 2021-11-22

比喩で見る

大切なことは、目に見えない
その見えないことは、時間と空間の所にある

時間的には、原因であり
空間的には、他者である


共に、思考停止した状態においては
目に見えやすい、表面的な、今、現に現象化している身近な部分しか見えない

この時間と空間に関する認識は、その存在に深く関わって来る
大切なことを見ようとしないで、見えているモノだけで判断するとすれば
それは、動物的な面だけだ

では、動物的とは何かと考えると
それは、本能に関する事とも言える

人間も動物の一種であり、本能が与えられている
その本能に従って生きている

しかし、人間とは考える葦であるというパスカルの言葉が有るように
自然界において弱い存在だが、
思考する存在として動物性を超える部分を持っている

ただ、動物たちにも、本能だけではない、考えている側面は有るだろう
その程度問題で、動物と人間は、分けられているのかもしれない
動物たちの中にも人間的な側面があり、感動的な生き方をする個体も有る
そして、人間の中にも動物性を超えられていない存在たちも居る

人間という殻の中に魂が入る以上、その違いを見ることが出来ないけれど
確かに、やっている事を見ると違いは見えてくる
その違いを、どこでどのように観ればいいのかと考えると
フラクタルの森で使っている図が参考になると思う

画像の説明

人間に組み込まれている
コンピューター部分である脳の構造
二つの脳と、二つの眼を結んでいる神経が
無限大マークのようにつながっている
この構造が何を意味しているのか

左脳は、論理脳とも言われ
右脳は、感覚脳とも言われている

この見方からすれば、左脳は人間的であり
右脳は、動物的とも言える

その両面を持ちながら
クロスした交点で考えて生きているようにも見える
あたかも両足を交互に使いながら歩くように

ところが、多くの人は効率よく両面を働かせることが出来ずに
思考の中ではスキップを続けながら歩いている状態の人もいるようだ

左脳的に優秀な人は、理知的で、人間的な生き方をしているのかもしれない
しかし、右脳的にドンくさい人は、本能の統御が出来なかったり
すべての基礎に有る本能まで上手く機能していない場合が有る

こういう人達は、立場もあり、優秀な人が多いようでありながら
冷たい感触が有り、とても愚かな人生を送りがちに見える

その反対に、左脳的にドンくさい人で
右脳的に練れているような人は、暖かい感じがするだろう 
一般的には、バカと言われるのかもしれないが
愚かな人生よりは、よっぽどマシだ

もちろん、両方がうまく働いていない人は
本来、人間として生まれてくるには、少し早すぎたのかもしれない

発展の順番としては、どちらが大切なのかと考えるならば
「大切なものは、目に見えない」「と言われるように
右脳的な進化が一番大切に思える

動物としての本能、人間としての本能
そのベースが、本来、神から創られた通りに機能していなければ
その上に人間的な知性や理性を積み上げても無駄になりかねない

例えるならば、ダイナマイトを発明しても
神から与えられた神性、仏性が機能しない人に使わせると
戦争の道具として簡単に使われてしまう

現代社会は、左脳的にだけ鍛えることで
人々の思考、行動を蛇行させている

では、右脳的な所を鍛えるために、何が必要なのか
こちらの悟性、感性を鍛えるにはどうすれば良いのか

簡単に言うならば、基礎的な宗教教育であり
倫理教育であるだろう

次の図の右側の認識を持たない限りムリだと思われる

死後の世界

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼