陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-11-10

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優しさと厳しさ

国民への支援方法で与党内でもめているという
財源とその使い方の問題だ


財源の確保にも使い方にも大きく分けると二つの道がある
ハッキリ言うならば、地獄に続く道と天国につながっている道だ

自民党と公明党、この与党内での意見の違いは有るように見えて
共通しているのが「選挙」に有利かどうかという視点なのかもしれない

そもそも、先のことを考えず
国民の支持を受けるかどうかだけで考えているようなら地獄への道に近づくだろう
深く考え、将来の為を考えているなら、めんどくさくても、時間がかかってもそちらの道を選ぶべきだ

国民の評価ばかりを気にするなら、すぐに結果を出す方が良いだろうけれど
結果を急いで評価してくれる国民は目先のことでしか考えていない人たちだろうと考えるなら
そこに引っ張られるとすれば、その先で失速することを考えておかなければならない

天国への道は、険しくて厳しい
地獄への道は、ゆるくて優しい

画像の説明

この優しさと厳しさは、共に長所と短所を含んでいる

厳しすぎても、優しすぎても
また、厳しさが足りなくても、優しさが足りなくても
良い方向に行くことは無い

状況の判断が難しいし、その加減も難しい
これは、家庭と一緒なのだ

公明党の母体の宗教は、創価学会だが
その教えとは仏教が前提にあるものの、その中身をよく見ると
信仰の対象は、日蓮でも池田大作でもないようだ
対象は、「御利益」信仰のようだ

対する自民党も、それと連立が組めるという事は
同じく「御利益信仰」だろう

そのご利益を得るために、信者にご利益を与えなければならないことになる
自分たちを信じて一票を投じてもらうためには、不可欠なこと

この優しさが適切でないために、反面にある厳しさも蛇行して
今いる自分たちに優しさを向ける反動で
後に来る人達への厳しさを容認する
というか、考えないのだ

色々書きたいことが一杯あるけれど
とにかく、あらゆる考えが蛇行してポイントをつかむことが出来なくなっている

座標軸が取れない為に、自分に都合の良い判断になっているのだ
その為にさらに蛇行し分けが判らなくなっている

ここには、神の座標軸を持って来る必要がある

ところが、公明党はもちろんだが、自民党の座標軸も
中心が、自分たちである
当然、国民にとって、神の願われているような判断が出来るわけはない

この座標軸の中心に、神仏が居なければ
その判断は、悪魔の喜ぶようなものになり
多くの人を地獄に引きずり込んでしまう

どうしても、人間とは、優しくされたいものなのだ

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