陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-11-05

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思いの蛇行を統御する

近年、通り魔事件も多い
そのような事件が何故多発するのか


一言で言ってしまえば、悪霊、悪魔が働いているからだ
霊的世界を信じていない人が増えている事も背景にある
要するに、次の図の左側の考えの人達だ

死後の世界

悪霊や悪魔が働きやすい世界を作り出している

うつ病もまさしくそうであり
「うつ」の反対に現れる「そう」もそうだ
うつ状態もそう状態も、普通にある心理状態なのに
これが、蛇行してしまう

落ち込みかければ、そこでブレーキをかけ
逆に、気持ちを鼓舞する方向に向ければ良いし

逆に、調子に乗りすぎていると思えば
慎重になろうとか、反省的な思いを持ってブレーキをかければ良い

蛇行する気持ちを自覚すれば、あて舵をすればよいだけなのだ
と、言いつつも、難しいことは自覚している

蛇行したまま放置していると
その気持ち(思い)が、霊的なものを引き寄せてしまう

先日の電車内での事件も
想像すれば、最初はうつ状態から起こったのかもしれない
もちろん、うつ状態になる原因としては、背後にそう状態がある

何かで落ち込む要素があり、そこで死にたいと思ったりすることも有るのだろうが、
その反動で、注目を浴びたいとか、反発したい気持ちとかが働いて
そう状態での行動に移ったりする

この蛇行のサイクルが、短期な場合と長期な場合、一生を通じて片方が出る場合とあるのだろう

このような犯罪行為に至る人の場合は、どちらにしてもそう状態でのこと
攻撃が自分い向かわず他者に向かう

うつ状態では、そのマイナスの力が他者に向かわず、自分に向かい
人生を暗くしたり、自殺したりする方向に向かう

両方ともに、主体が常に自分にあるからだ
自己中と言っても良い

仕事

「だれが」の所が、常に「自分が」になってしまう

当然、そのところが、そうなってしまう原因には「世界」観に間違いが有るからだ

最初の図の右側が「真理」なのに、左側を選択していると
偶然にこの世に生まれ、ひとりで生きている自分になってしまう
「自分が」という視点から離れがたくなる

神の子として創られた自分を意識することが出来るなら
神という客観的視点を時々でも取ることが出来れば
蛇行しそうな時に、その神の視点からの制御が働く

他の事件での裁判で、心神耗弱を理由に無罪判決が出たりしたようだが
とんでも無いことだ
そのような犯罪行為の背後には、悪霊、悪魔の暗躍がある
しかし、それを呼び込んでいるのは自分であり
その責任は自分自身にある

そもそも、無神論、唯物論という左側の世界観を選択した責任は、当事者にあるのだ

悪魔を自分に引き入れて放置し、やりたい放題にさせた責任は取らなければならない

これは、個人の場合もそうだが
国家の場合も一緒だ
フラクタルなのだ

今、間違いなく、中国共産党には、悪魔が入っている
その暴走を止めずにいる親中派の政治家や経済人の中にも
憲法改正せず9条を守ることを正義のように思い込んでいる人達にも
悪魔の手下が入り込み、悪魔が働きやすい世界創りに協力しているのだ

同じ要素がある、フラクタルなのだ

共に、その原因は、常に、自己中心でしか見られない
小さく、狭い、ちっぽけな器に原因は有る

神の子、仏の子である、自分自身を信じることだ
確信することだ

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