陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-11-01

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リベラル、左翼思想とは何か

優しさを中心にしたような主義主張ではある


ただ、何事も、良い子、悪い子、普通の子とある 
その区分けは難しいけれど
優しさであっても、過ぎても悪く表れるし
足らなくても悪く表れる場合がある
その状況判断に間違いが有ると、当然、そういう事が起きる

画像の説明

もちろん、対象に対する認識も有るが
自分自身の中での判断にも
良い優しさになる場合と、悪い優しさになる場合とがある

自と他、二つの面で適切でない判断があると
良い優しさでなく、悪い優しさとなり
「地獄への道は、善意で舗装されている」という事が、現実となる

人は、どうしても、自分を観るように人を観る

まわりの人が全て悪人と観える人は、自分の中に同じものが有り
それを他人に投影して写して観ている場合が有るようだ

優しさであっても
基本は、防衛に関することであり
人を優しく包み、守ってあげたいという気持ちが有ってのことだが
その防衛本能も過ぎても足りなくても悪に転じることがある

自己保存本能は、生き物にとって不可欠な本能だ
自分を守ろうとすることが、他人を攻撃することにつながったりする

共産主義の悪なる部分は、まさしくそこであり
自と他の観かたに誤りがあり、嫉妬心を正当化させた上に
それの解決のためには、手段を選ばず、暴力をもってしてでも革命を起こすべきだと考えてしまうところにある

結局、自と他の観かたに反省という視点なく、見直したり
多面的な視点で見ようとすることなく判断するところにある

画像の説明

要するに、客観的に観れなくなっている
神なる視点が無いからだ

自己の中に神なる視点が有れば、そうならずに済むのに
自分中心で物事を考えようとするところに、神の視点は無くなる
ある意味、優秀な人に多い傾向とも言えるだろう

しかし、これが非常に問題なのだ

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