陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-10-15

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投資教育

若者への投資教育が行われている

その中で、利益を上げる事ばかりでなく

社会貢献も視野に入れて考える事を教えている

その中で、地球温暖化などの気候変動、脱炭素への取り組みなど

社会貢献にどれだけ取り組んでいるのかを見て

投資を考える必要が有るとしている

ただ、これを聞いていて恐ろしさを感じてしまったのだ


私は、物事を理解するために、次のような図に当てはめながら考える

仕事

多くの場合、企業の「利潤追求」だけの姿勢に問題が有ることを理解し

結果主義的に観ることなく、「社会貢献」の面も見る必要があると提唱しているが

たいていがそこで止まっているケースが多いようだ

全ては高速で循環し重なって来る

社会貢献と利潤という両眼で見ることの次というか、同時に

その社会貢献の個別の課題を考える必要がある

例えば、気候変動問題という課題について考えなければならない

その課題についての悟りである

この課題についての認識が不足していると

表面的になり、上っ面の認識で次に出てくる課題に対しての

掘り下げも浅くなり、お為ごかしで扱う事になるからだ

「企業」(仕事)という課題を、利潤と社会貢献の両目で見るとしても

理解が低ければ、どうしても利潤にウエイトがかかる

利潤を上げるために社会貢献が有るようで、

社会貢献を手段として見ることで、その思いに濁りが生じると

濁ったものを引き寄せてしまう

社会貢献が重要であると理解しておれば
その理解に応じて大きな違いが生まれてくる

「なぜ」が重要であり

企業で言えば、社会貢献が目的であるなら

その結果を高めるために適正な価格を設定し

最大の利潤を上げ、さらなる社会貢献の為に努力しなければならない

何が本当にお役に立つことなのか、理解しておれば道を踏み外しにくくなる

その「なぜ」の中身を、何度も繰り返し考える必要がある

それと同じで気候変動対策を課題として考えた時に

「なぜ」を繰り返すことだ

気候変動に二酸化炭素の排出量が関わっているとして脱炭素が言われる

一部の学者が仮説としていったことが、まるで真実のように思い込まれ

皆こぞって共通認識としているようだ

それを信じて、それが社会貢献につながると判断しているのだろうが

それが間違いだった時には、社会貢献と逆の働きにもなる

産業構造を変え、景気にブレーキをかけて人々を貧しくさせてしまう事になる

社会を悪い方向に向かわせてしまう

結局は「なぜ」を繰り返すことなく

耳障りの良い、みんなが恐怖することの解消に資するとして

人に良かれという思いであるが、お為ごかしになってしまう

どんなことでも、このような循環がつながりながら回転して渦を巻き成り立っているので、常に「なぜ」「なんで」というように素朴な探求が必要になる

その「課題」(なに)に対する掘り下げが浅く

そこに間違いが有ると恐ろしいことになってしまうのだ

この「課題」の前に有る「世界」の見方を間違えていてもそうだ

課題の見間違いの原因には、その前の世界観に間違いが有る場合が多い

とにかく「なぜ」の所、思いの所は一番大切であり

その心の部分、そこを磨くためにこの世は存在しているようだ

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