陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-10-03

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私たちは、霊的存在

世の中には、いろんな霊的能力を持った人達がいる

というよりは、本当は、人間は、全員が霊能力者だという観方もある


それは、当然と言っても良いのだろう

何故なら、人間は、霊的存在が肉体の中に宿って生活しているからだ

この肉体自体が、あまりにも不思議な存在であり

奇跡の積み重ねられた装置であるし

考えれば考えるほど、これほどの機能を備えているのか不思議である

それ以上と言っても良いのかもしれないが

心の持っている機能も不思議に満ちている

これらは、誰でも当たり前に経験し持っていることでも有るので

不思議とも感じていないのが現実かもしれないけれど

何故、なぜ、何故と、繰り返し考えていると

まったくもって不可思議だ

霊的存在である私たちが

不思議な乗り物に載って生きている以上

だれでも不思議な体験は持っているはずだ

どうやら、この体も心も

勝手に出来て、勝手に生きている存在では無さそうだ

どうやら、つながっている

どうやら、私たち一人ひとり

肉体も心も大きな存在(人間)の一部であり

宇宙大に広がっている

それこそ、宇宙全体を体として

宇宙全体を心として存在している

神なる存在の写し絵なのかもしれない

過去の悟りたる存在たちは

そのことを真理として知り得ていたために

自我を小さくして中心から流れ出る光を末端にまでながされていたのかもしれない

私たち一人一人が

全宇宙存在の体の一部であり

全宇宙存在の心の一部なのかもしれない

その一部の自我が

全体を無視して生きていこうとするなら

それは、がん細胞のごとくになり

全宇宙の心から剥離するような状態なのかもしれな

何事も、自我を大きくするべきではないのだろう

大きすぎる自我は、全体、周辺の細胞組織を傷つけ

自滅への道を歩んでしまう

政府という存在も

大きくなりすぎて、その自我を膨らませすぎるなら

自滅への道を歩んでしまう

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