陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-09-16

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今日から開催です

https://toujiki.jp/
北九州市小倉北区  西日本総合展示場 新館  137番ブース

「移動中、考えた事、つくづく思った事」
・唯物論で左翼思想、リベラル傾向に向かう人達
天狗系、仙人系の人の人達
そして、道を外れ悪魔の術中に入っている人達
悪魔のそそのかしを受けやすい人達

要するに、神様から観て、道を踏み外して
悪魔のそそのかしを受けそうな人達の特徴はというと
次の図で簡単に説明がつきます


この図で言うならば、
「行い」の部分、特に表面的な結果部分に関心が強い事です

仕事

結果、成果にこだわることは当然であり、重要なことでもありますが
その成果をもたらす原因を作らずに、強引に結果ばかりを求めると
それこそ、悪魔の思うつぼです

優しさという思いがあっても、片眼で見た優しさ
要するに厳しい目を無視した優しさは、人を不幸に導きます
因果関係を無視した優しさの中には、自分中心の思いが有り
「地獄への道は、善意で舗装されている」という事になります

左翼思想、リベラルの人たちが陥る魔境です
検証することなく前に進んでいくと蛇行することになる
そして、独善的になり全体主義的になる

社会主義や共産主義の人たちが、政権を握ると
全体主義になり独裁政治を始めることになるという構造です

なぜ、なぜと繰り返し考えることなく
基本は、人間として持っている本能の優しさ、素晴らしさが機能しているせいもあるが
結局、誰がという主体部分が「自分」というところで固まってしまうからです
本当は、ここで、客観的に観る視点が必要なのですが
ここで、本当の意味での信仰心が無ければ、自分が、自分たちが主なる神になってしまうからです。

目に見えやすい、表面的な結果のインパクトが強い為に
どうしてもそうなりがちです

やはり、陰陽の両視点を持つ必要がある
原因と結果
他者と自己
神(創造主)と人間

ただ、原因にも、結果にも、他者にも自己にも、神様にも人間にも
全て、良い子、悪い子、普通の子が居るという事

その判断には、やはり、本当の意味での信仰心が不可欠であり
創造主から観た善悪を観なければなりません

その視点をどうやって手に入れることが出来るのか

それは、今、地上に降りておられる救世主から学ぶことと
もう一つは、最高に良い親をイメージして
その親から観て
全ての子や孫に対して思う事、願う事という視点で考えることだと思う

子や孫が、純粋に世のため人の為にという動機で
自分を忘れ努力精進している姿を見るなら
目に見えないところで応援をしたくなるだろうし
結果として、運が良いという現象も起きるだろうし

もしも、子や孫が、堕落し、向かう先が危うい方向に向かうならば
何とか止めようとするし、時には罰を加え阻止しようともされるだろう

地球神、日本の神々から観て
今の日本のやっていることが、その願いにかなっていないことは明白です
経済成長せず、GDPは増えず、国民の貧困化は知らない間に大きく進み
没落の道をたどっています

現象としては、すでに神の願いに反して
その代理人として仕事をしなければならない政府が
税金を大量に集め、さらに借金を1200兆円まで増やしてやっている仕事が価値を生まず、国民を貧困化させ
国防すらままならない状況にしている現状がある

その向かう方向を変えなければならないのに
今回の総裁選を見ても
どうやら、その流れの方向は変わらないでしょう
おそらく、その先の衆議院選挙でも変わらないでしょう

国民全体の意識が代わり、多くの人が目先の結果主義に振り回されないようになり
神の願いを心から感じ取れるようにならない限りムリです
このままでは、コロナを収束するための助力を受けられず
さらなる、天罰を落とすしかないのかもしれない

追記;神の願いを感じるためには
死後の世界、霊的世界を認めなければ、神仏など存在しません
宗教などだましであり金儲けの手段でしかありません
死後の世界、霊的世界を認めない人が大半を占めている現状です
これを変えるためには、何が必要なのか
神さまの気持ちにはなかなかなれませんが
おそらく、ヨハネの黙示録に出てくる現象が必要なのかもしれません



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