陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-09-08

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お金と価値

MMTも含め
お金とは、何かという議論がある

その本質は何かというと
この図の中で考えると分かり易いと思う
基本


結局は、このピラミッドの中で生まれる「価値」のこと
その価値が数字に置き換えて表現されているにすぎない

ポイントは、「商品やサービス」の所   (愛・感性・なぜ・イメージ)
お金は、ここで生まれる
「価値」はここで生まれる
ここでどれだけの「価値」を生み出すことが出来るかという事に尽きる
勿論、この価値にも良い子・悪い子・普通の子がある
主体と客体の双方にそれが有る

良くない人たちに価値を認められている場合もある
神さまから価値を認められていてもそうでない場合もある
その価値を表現している、そのお金そのものの価値も判断が分かれる
流動的でもあり、固定化された価値が決まっているわけではない

個別の仕事、一般的な仕事なら分かり易い
私の作る備前焼も、何とか生活出来るだけの支持を受けている
それなりの価値が認められ、その対価が決められ
お金という数字に換算されて私の所にやってきて
生活を支えてくれている

どのような商品でも
どのようなサービスでも
何らかの価値が認められ、それが継続すると認められなければ
血液のごとく流れて循環し、経済を押し上げることは無い

政府の仕事も同じだ
ただ、違うのは、その基準になる「お金」を造るという仕事を持っている
「お金」は、商品でもありサービスでもある
この仕事が有ることで、政府の仕事は分かりにくくなる

私の作る作品なら、気に入られなければ無視されて
他の人の作品なり、別の物が代わりをするだけだが
お金の場合は、そういうわけにはいかない

さらに、この流通の中で租税として、税金として
この経済の中から資金を集め仕事もしている

租税の場合、強制的に集めることも出来るのだ
本来、その仕事の価値判断を顧客にゆだねるのが本道だろうが
人々に、そのサービスの価値判断をさせずに徴収することも出来る

ある意味、やりたい放題のことが出来る
それゆえに、政治とは「まつりごと」であり
本来、神(天)に代わって、神の代理として執り行うのが政(まつりごと)
しかし、現実は、政治といえばオゾマシイ感じが漂ってしまっている
政治家たちの表情を観ていても、正視するのが辛く感じる人が多い

政府が、ここで生み出さす金にも不浄の物が混じり
集めたお金の使い道の中にも不浄なものが混じっていると
その政府の仕事の造り出している商品やサービスに価値の無いモノが混じっている場合がある

ただ、政府のやっていることに文句をつけて拒否できるものでは無い
定額給付金も拒否できなければ、様々な補助金も拒否できないでいる

年金でも強制的に集められ
今、受給している人は払った以上のものを得ているが
これから受給する人は、無理なようだ
今のレベルの受給を継続させようと思えば、依然見た数字だが
消費税でそれを賄おうとすれば70%の消費税が必要だという
明らかに、良い仕事をしているとは言えないのだ

今の賦課方式でなく、もともとの積み立て方式に戻すべきなのだが
既得権益は、多くの国民が手放そうとしないだろうから
段階を追ってやるべきなのだろう

そんな政府の仕事を探せば、一杯ありすぎて苦しくなる

単純に考えれば判ることだが
政府がお金を造ったり取り上げたりが自由にできる中で
バラまかれたお金を国民は拒否できにくい

勿論、政権維持や票目当ての為に、どうしても国民に甘く
良かれという思いも有って、バラマキ気味になるのだが
このバラマキは、「価値」とは対極にのモノを生みだしてしまう

単純に考えれば判ることだ
生活保護で考えれば判りやすいだろう
仕事をしなくてもお金をもらえるようならイヤという人は少ないだろう
仕事をして「価値」の有る商品やサービスを生みださなければ
それが社会の常識のようになれば
その数字のお金は、価値を反映していない以上、やがて消えていく

働くより生活保護の方が価値が有ると思い込まれるようなら
苦労して、努力して働く方を選ぶ人は少なくなるだろう

MMT理屈を悪用している左翼勢力の政策を観ると
もともと、左翼、リベラル傾向の人たちは
どうしても国民に甘く、国防でも9条さえあれば平和が担保されるとして
厳しいことを言わない傾向が有る

与党の自民党も公明党も同じである

いやでも正確な判断をしてきちんと対処していなければならない
その厳しい判断が自らを助け、人々を救っていくのに
国民の為という、お為ごかしの意見がまん延して
「地獄への道は、善意で舗装されている」という事になる

善意は良いが、その善意が本当に対象の人たちに良い方向に働くのかどうかの「価値」判断が出来なければ
他の造り出された「価値」が、そちらに使われ消えていくだけでなく
全体の価値を引きずり降ろすようになってはどうしようも無い

本当の「価値」(信用価値・真理価値)が流れて充満していくことで
さらなる価値を生みだしていく
このプラススパイラルの流れが大切なのだ

草刈り機の歯のボルトのねじが、左回りなのに右ねじと思い込んで
一生懸命に右に廻しても締まらないし、緩めようとして左に回しても緩まない
さらに締め付けるだけなのだ

この「思い」(設計図・動機・感性・なぜ)の所に
神さまから観た感動、信用、価値が無ければ
この神の創られてた世界で生き残ることは無理だろう

その仕事が、本当に価値ある仕事であるかどうか
政府のやるべき仕事なのかどうか考えるべきなのだ

今、その最高権力を更に強く持とうとする中国共産党一党独裁のような国家も強くなり
世界中の国もその流れに入っているかに見える

一部の権力者が力を持ち、全体主義的な社会を作り出して
本当に価値の有るモノを模索し見出していこうという働きが弱くなっている
コロナ禍で恐怖をあおり、一部の意見で経済を殺し
この仕事の循環をさらに悪化させている

このマイナススパイラルの流れを切り替える必要があるのだが
それぞれの中で「だれが」が大きくなりすぎている

その原因は、無神論、唯物論の蔓延だ
神から観た正しさを探求せずにいたら
自分たちの都合の良い判断だけになってしまう



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