陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-04-14

Top / FrontPage / 2021-04-14

MMTを真善美で考えると

藤井聡氏の言われるように
MMTも真善美の物差しで考えれば良い
もちろん、神仏の視点で考える事だ

ただ、考える際には対極にあるもの見る必要がある
両極を視点に入れなければ立体的に見えない
MMTを真偽、善悪、美醜で考えるのだ


真偽で言うなら
自国通貨建の借金で破綻することはない事は自明の理
そんな事は、財政均衡主義者にも分かっている事だ

善悪で考えるなら
何に対して財政出動するのか
その事で起きる事に善悪を判断できるかにかかっている

その事で起きる現象にどのような美醜を感じるのか

この善と美で考える時に
真の意味での世界観が無ければ
その善悪とその美醜を感じる時に違いが出てくる

このMMTを利用している左翼、リベラル傾向を持つ人たちは
どうしても甘くなる

例えて言うなら
親子の関係で
どうしても子供たちは自分たちに都合の良いように
甘い判断をしてしまうものだ

ところが、親の立場からすれば
それを見過ごす事ができない場合が多い
厳しい視点での判断がある

善悪の判断が違ってくるだろう
そして、感覚的には美醜の判断にも影響が出てくる

左翼、リベラル傾向では、神仏、創造主を認めていない以上
子供の都合での判断に近くなる

神仏の視点、創造主の視点で考える事ができない

最初の真偽の判断が子供達の世界だけしか考えていない
その世界には、経験を加えた大人たちも一緒に暮らしている世界なのだ
その中にも悟った人も居ると言う事を認めなければならないのに
自分たちを主体としてしか考えられないなら
美醜の判断でみると
その主張は醜いものとなる

れいわ新選組の山本太郎氏や
共産党、立憲民主党、社民党、左翼政党の人達の意見を聞いていて
とてもおぞましく感じてしまう原因は
おそらく私自身が美醜の観点で見ているせいだろう
親の立場、神仏の立場から見ようと努力しているためだろう

確かに聞こえはよく
深く考えなければ
私個人にとても都合は良いことばかりだ
反応だけしているのであれば、彼らを支持したくなってしまう

その辺りが
「地獄への道は、善意で舗装されている」と言われるところだろう



コメント


認証コード(6634)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼