陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-02-28

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お金と経済の本質とは?

三橋貴明氏は、「貨幣とは、単なる債務(負債)と債権(資産)の記録である」と言う

もう一つ
「誰かの黒字は、誰かの赤字」とも言われる


更にもう一つ
「プライマリーバランス黒字化目標とは、国民赤字化目標でもある」ともいう

要するに、政府がお金を借金し、国民の収入になるように使うと
政府は、赤字になるが、国民は黒字になるのだから
政府の借金は、どれだけ増えようが問題では無いという意見だ

インフレとは、需要と供給のバランスで決まってくるというが
お金の信用とも深く関わっているけれど
インフレ率の2~3%を目途にしてお金をいくら増刷しても大丈夫だという意見

インフレ率が、物価の上昇率だということは
物価が上がればインフレ率は高くなってくる
これは、需要とも関わるのだろうが
物価(物やサービスの価値)と通貨(お金の価値)の信用度の比較と見たほうが適切ではないだろうか

それ以外の要因で、もちろん、政府と日銀は一体なのだから
国債を日銀に買い取らせれば、返済する必要も無く問題が無いとも見えるが
逆に、政府と国民は一体でもあると考える必要もあるのではないだろうか
という事であるならば、政府の借金は、国民の借金でもあるとも言える

国民一人当たり何百万円の借金という事がやり玉にあがり
金融機関などを通して国民が債権者として貸しているのだから真逆だという事も言われる

視点を変えれば色んなことが言えれそうだけれど

日銀も政府も国民も一体であれば、結局その中で使われている、道具としてのお金の価値が問題なのだろうが
その道具であるお金をイッパイ市場に回すならば
そのお金に対する信用度はどうなっていくかだろう

商品やサービスの価値と       ・・・・陰
それが循環する為に必要なお金の価値 ・・・・陽

結局は、何が問題なのかと考えていくと
この陰と陽の価値のバランス、量のバランスが問題なのだろう

何事にも量と質の問題がある

その国の政府の仕事や民間企業の仕事の価値(質)と量
その流通の為に使われるお金の量と質(価値)
この4つの要素を見る必要が有るのだろうか

政府も民間も、その仕事の質と量を上げる必要が有るという事だろう
民間は、必然的に努力をしなければ生き残って行かれないので頑張る
先人たちの頑張りが社会の中にも蓄積されている

ただ、問題なのは、政府の仕事だ
また、それに絡んで儲けようとする政商たちだ
利権と言っても良いのかもしれないが汚くておぞましい制度がいっぱい残っている

NHKもその一つかもしれない
電波法という言う利権も有るという

政治家も官僚も政商たちも
政治権力に毒され、国民もそこから垂れ流されるワイロのようなバラマキで汚染されている

日本の経済が成長しなくて、国民所得が下がり、明らかに諸外国に比べ貧困化が極端に進んでいる原因は、
政府のしている「仕事」の質が悪くなっていることが根本原因だろう
悪い「仕事」の量は増えるのに
良い「仕事」の量は減っているせいではないだろうか

社会に悪い仕事が増えるなら、その為に流通させる道具のお金を沢山造り出してもバランスが悪くなるだけだ
逆に悪い仕事を加速させてしまう
悪い仕事でなくても、何も仕事をしないのにお金だけがバラまかれるという事は、どういう事になるのだろうか

そのお金の価値と仕事の価値が分離してしまうならば
いったい何が起きるのだろう?

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