陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-02-16

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アメとムチにも良い子、悪い子、普通の子がある

アメには、ほうび、褒賞という意味もある
インセンティブとも言える
利益誘導とか色々ある
フラクタルの森ではアクセルという意味で使うことも多い


ムチには、罰とか、お仕置きとかあるが
フラクタルの森では、ブレーキという意味で使う事が多い

車を走らせる場合でも、経済活動の中でも
この二つの要素が不可欠であり
この二つの使い方を間違えると事故を起こす
至極当然な法則だ

アメにもムチにも良い意味と悪い意味の両方が生まれる
善を推しすすめ、悪を推しとどめるために使われるのが本来だが
これを自己中の視点で使うなら
他者にとっては不都合なことになる

その不都合なことになるのがわかっていても
ついついコントロールされるという弱い面を持っているのが私たちでも有るのだろう

政治的決断で貰うことになった給付金とかの問題もそうだ
10万円もらって喜んだ
さらにくれると言うなら拒否する気持ちは出ては来ないだろう

ただ、必要な人もある事は認めるが
そうでない人にまで配る事が本当に良かっただろうかと考えると逆の面が考えられる
人々の心に与えた影響だ

10万円が国民全員に配られた事で
全部ではないだろうが消費は増えGDPも押し上げただろう
しかし、経済の本質である
仕事〜商品やサービス〜代金〜給与
という流れを中断させることになる

バラマキは、経済の循環の自助努力の精神を奪い
政府のバラマキに依存してしまう精神を生み出してしまう
国民の民度を下げてしまうことになる

この恐ろしさは、血液の循環を断たれた体の如く朽ちていく

バラマキは、ある意味下の図の政府の福祉政策に当たるかもしれない
これは、人体に当てはめるとリンパ管の働きかもしれない
人体も本来なら血液が運ばれ筋肉が働くことでリンパ管は機能する
リンパ管は筋肉の収縮運動で逆止弁が機能して働くのだ

血管がスムーズに働くように政府が仕事をすれば良いのだが
アメを配って好評価を得ようとするならば衰退へと向かうだろう

画像の説明

アメとムチを使う場合、後のことをよく考えてやる事だ
そう考えるなら、あからさまのアメやムチは良くないのかもしれない
人の心の中の良心に訴えかけ水の流れを導くが如きのことで良いのかもしれない
ムチにしても、水の流れをせき止め向かうべき方向に向かわせるような堰を造る程度で良いのかもしれない

大川隆法先生の説法を今一度思い返すと
そのような導きがほとんどのような気がする

ただ、今、世界中に起きている現象が簡単に収束せずに
更なる過酷な状況が来そうな背景にはムチというか、天罰の意味が含まれているようだ
これに気が付いて人々が心を改めない限り
アトランティス文明やムー文明で起こったような、
天変地異という形でムチどころでは無い現象に襲われるかもしれない

そんな状況下、世界は、あくまでも唯物論的な解決策に頼っている
唯心論的な視点が不可欠にも関わらずだ

神に祈ることだ
神の願いがどこに在るのか忖度するべきなのだ



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