陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2021-02-11

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悪い信用 と 良い信用

今日、窯から作品を出してしまいます
昨日、正面の口を開け一部を出してみましたが
いつもとそれ程の違いは無さそうです


ただ、いつも思うことだけど満足できません
小躍りして喜ぶ事は無いのです
おそらく、どの作家さんも同じではないかと思うのですが
自分の作品に対しては厳しめの目で見ているのではないでしょうか

作品を磨き洗って仕上げを済ませてから
じっくり見ているとなかなか良いなと思える感じで見れるのですが
全作品に満足はできません

しかし、しばらく展示室に置いていて見ていると
不思議なことに私自身の評価も変わって来るのです
色の変化も多く見栄えのする作品が最初は評価が高いのですが
そういう見た目だけで見ているのでは無いようです

もちろん、見る側の心境の変化もあるのでしょうが
見えるものだけでなく感覚的な見えないものも感じて見ているようようです

そんな時思い出すのが、最初に窯出しをしての展示会で知人の霊能力者の女性のことばです

展示会は、書店の好意で空いている二階の広い空間をつかわせてもらったのですが
そのお店の経営者の奥さんが来られて品選びをされているのを見られていた時です

「この方は、霊的なものは見えていないようだけれど、正確に感じ取られているわ」と言うのです

作品からもオーラというか、光が出ていて
多くの作品から選ぶのに光の強いものを選んで購入されていたからだと言うのです
同じ人間が作っていてもその光には強弱があるそうなので
目では判断できない価値判断が有るようです

その光が何を表しているのかは、
大川隆法総裁先生からの学びでハッキリしています

もちろん、自分で作ってはいるが
自分を超えた者が入って作っている時にその光が込められているようなのです
その同調度がどれほどか分かりませんが
影響を与えられている度合いに応じて光が漏れて来るようです

ですから、逆も真なりで
心境の悪い状態で作られた物は、光とは逆のものが感じられるのでしょう

この事は、ただ単に陶芸作品にばかりでなく全てに言える事です

政治にも経済にも、どのような製品にも、どのような文学作品にも
どんな映画にも在る
目に見えている表面的なものも大切だけれど
見えにくいものを感じることが無ければ
偽物だったり、いい加減な物を手に入れていることが有るようです

陶芸作品での品選びをに間違いが有っても何てことはないですが
政治や経済で間違えた選択をするなら大きな痛手となり
後のものに大きな影響があり
そのえいきょう、その悪影響の中で生きる羽目になります

是非、両目で見てください

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