陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-12-28

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景気回復を願う

この所、毎日山に上がり枯れかけの松の木を切り下ろしている
今年は、松枯れも多くすでに一年分が貯まっている


うちの窯は、山から切り出した木を割らずに使えるので効率が良い
28センチまでならそのまま乾燥させて使えるのだ
一窯で使う量の3分の2ほどが山から下ろす薪で賄う事ができる

作品の側で燃やす薪は、パレットを作っている会社の甲板を分けてもらっている
作品と作品の間に滑り込ませるのに好都合のサイズなのだ

しかし、この会社の仕事も減少して端材の出は少なくなっているという

山から出てくる薪が多いので割り木にすれば全部うちの山の薪で賄える
その為には機械で薪を割らなければならなくなる
薪割り機の購入を検討しているが新品は20万円はする
今まで通り甲板が手に入るのなら問題ないのだが

どちらにせよ、景気が回復してもらわなければ都合が悪い

政府の行う政策には、不景気を再生産する事しかない
コロナのせいも有るだろうが
根本的な所を間違えている

対する野党も自己中心で攻撃するばかりで天下国家のために政治をする気はなさそうだ

皆が自己中心で他者や天の願いを忖度すること無く生きている為に
全体がマイナススパイラルを起こしている
更に、天罰も加わり不幸が広がる

国民の意識を変え政治の意識を変えない限り
この危機を乗り切ることは出来ないだろう

いま、世界規模の救世主が現れて活動をされておられるが
その救世主としての仕事ができる為には
多くの人の信用がその方に集まる必要がある

その人の価値を認めて認識する必要がある
その量が一定以上にならなければ
全体の舵取りがプラスの方向に向いて行くことはない

アメリカのジーンディクソンという予言者の予言の中に
「救世主が2037年に現れる」というのが有るが
それまで、世界が認めないとするならば
これから起きる世界の混乱は簡単に収まらないのかもしれない

私の中では、1995年の7月15日の東京ドームでのエル・カンターレ宣言の頃から
すでに救世主としての認識が心の中にあった
私達夫婦の新婚旅行だった

そのおかげもあり、備前焼でスタートして裕福ではとてもなかったけれど
幸福な日々を送りながら今までやってこられたのだ
本物の救世主を救世主と認めて学び実践しようと努力する中に
プラススパイラルの流れに向かう力が働いてきたようだ

世界中で救世主と認めるのが2037年であっても
日本人の多くが救世主と認識し、その教えを学び始めると
そのプラススパイラルの流れは
怒涛の如きものが有るだろう

この感覚は、実感した者たちにしかわからない
とにかく、努力もあるだろうが
運がとても良くなるのだ

奪う愛から距離をおき
与える愛を学び実践の中に染み込んでいくときに
天上界の神々の力が働くことを止めることは出来ないだろう
運が良くなるしかないのだ

今現在の状況下では、運が良くなりようが無いことはわかる
神々の願いから離れたことをしていて
天の助力を期待しても難しい

私たちが生きている環境が整えられているのにも
神々の尽力があってのこと
偶然にこの地球環境が整えられているわけではないだろう
天使達の働く気力を萎えさせるようなことを多くの人々がしていては
天変地異にしろ起こるべきものは起きてしまう
起きたけれど大したことは無かったというようなことにはならないだろう



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