陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-12-19

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原点に戻って考える

社会も経済も政治も、あまりに複雑になり混乱している
それらの基本原点に帰って考えることでシンプルにその本質が見えて来る
どんなに複雑怪奇になったとしてもそこに流れている基本は変わらないからだ


社会も経済も政治も、それぞれの仕事から始まる
私は陶芸で生活しているけれど
見方を変えれば生きるための食糧確保の為です
色んな仕事がありますが、基本は同じです

そこで農業を例にして考えると分かりやすい

一人が食べるためには大して食料生産する必要がない
しかし、家族が増えると食料の増産が必要になる
さらに、鍋や調理器具、食器などを揃えようとしたり
肉や魚や調味料が必要だと思えば
それらを得るためには、自分で作るか
それらを作る上手な人達から譲ってもらう必要がある

そのためには、相手が価値あると思う商品かサービスとかで交換する必要がある
自分の得意とするのが農業であるなら
耕作地を増やしたりよりさらに価値があると思えるものを作る必要がある
生産性を向上させ品質を向上させる努力で
家族の生活を維持しながら豊かにしていくことができる

お金は、その価値を交換する道具にしか過ぎません
お金に信用が無ければ、直接物々交換すれば良いだけです

基本は、どんなに複雑化した社会でも同じです

現代社会では、お金に信用が集まり過ぎています
世界中が中央銀行制をとり、直接政府がお金を発行しない仕組みも
その信用確保に役立っているのでしょう

お金は便利な道具であるために
その価値を維持するために様々な手法があるようです
偽札が横行したりする事もあり
先物取引とかリーマンショックで有ったように
訳の分からない金融商品が出回ったりします

頭の悪い私などは、本当に理解しようもありません

国が国債を発行して日銀を含めた金融システムから資金を調達します
硬貨は政府が発行しているので硬貨の発行なら独自にお金を作ることができます
国債の発行などという面倒くさい、
しかも、後で返済しなければならないようなものに頼らなくても資金は作れますが
これでは、そのお金に信用が無くなっていきます

農業で考えるなら、このお金を作るという作業が何に当たるかというと
耕作地を増やしたり、作物の育て方に工夫をしたり
様々な努力がそれに当たるでしょう

何らかの努力や工夫が無くてお金に代わる価値の創造はありません
政府が信用ある、価値あるお金を発行しようとするなら
それに見合った仕事をしなければならない事になります

結果として、この30年以上も経済成長できていないのでいるなら
良き努力も良き工夫もされずに
無駄に肥料と思しきものを畑に撒いて仕事をして気になっていたのでしょう

政府の仕事、国民の仕事、
それらの中に、価値の創造なく、信用の創造なく
上っ面のお金の価値だけに振り回されているなら
本末転倒であり、そのお金の価値も消えていくしかありません

お金を考える時に不可欠なのは、信用です
その価値を支える信用には様々な要素が有りますが

上っ面のそのお金の価値ばかりに振り回されていると足もとをすくわれるようです
その背景にある信用を観る必要がある

誰が支えている信用なのか、どのような思いと行いを背景にした信用なのか
その価値の中身が未来を造っていきます

究極の価値を担保してくれるのは
神からの信用です
神という視点が無ければ

どのような経済も社会も政府も何も有ったものじゃありません画像の説明



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