陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-12-12

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小さな政府と大きな政府

政府が正しく神に成り代わって政治を出来れば良いが、それは現実無理がある
神の心を心として政(まつりごと)が出来る人を求める事は難しい
権力を持てばどうしても堕落する


大きな政府を三橋貴明氏なども求めているようだが
大きな政府は、社会主義的であり、共産主義社会への流れでもある
優秀な政府により多くの資金を与えその分配を任せる
全体主義の考え方であり高福祉高負担の考え方でもある
優秀な政治家や官僚たちの判断で良い方向に社会をもって行けるというだ

小さな政府は、出来る限り政府組織は小さくして
税金も少なくするかわりに公的インフラなども民間資金の活用で成していこうという考えだ
民間の自助努力の精神で社会を良い方向に向けて行こうとするものだ
人々の善なる心を信頼することが前提に有る

これら、二つの考え方の違いは
「人間神の子」と言う認識をどれだけ持っているかに関わってくる

共産主義では、神なる存在を容認することが無いので
どうしても大きな政府を選択し、有識者、知識層が凡人たちを支配することの方が良いと考えるだろう
現実、中国共産党が神のような立ち位置で政治を行う事になる

ある意味、この考え方は良い面がある
良いという言葉ではないが、強いのだ
もちろん、自分たちが神でありそこに力が有るならば何も恐れる必要は無い
強引に決めて強引にやれば良い事になる

繰り返し出しているが
次の世界観の左側の選択だ

画像の説明

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左の世界観の人に、本当に「信用」が有るかと言えば
その力に媚びて自分の利益を考える人達
要するに同類の人たちにとっては信用に足るのかもしれないが
無前提に信用が出来るわけは無い

逆に、右側の世界観を強く信じている人には
神の心を裏切ってまで自分たちの利益を優先することなど出来るわけも無い

日本人も左側の人が多くなったけれど
まだ、マシなのは、昔から聖徳太子の時代から
神道でありながら仏教も儒教も受け入れて独特の文化を創り出してきたことが有る
神や仏や天の視点を感じる文化と言うか、そのような晴らしい世界観の暗示をしてくれてきたことだ

いま、日教組教育などで左翼思想の暗示が進んで多くの人は忘れかけているが
多くの人の心の中に、まだ残っている
その為に生真面目に生きようとする人が多く
なにが有っても集団での略奪行為と言う見ていて恥ずかしい行為は日本では起こりにくい
民度が高いのだ

左翼思想と図の左側の認識とは、同じである
左側の人達は、見えにくいモノを見ようとしない傾向が有り
自己の優秀さに胡坐をかき自分の知識が絶対だと思う傾向が強いために色んな問題が起きる

この世界の価値観では信用が希薄になる
経済理論を考える時にこの右側の世界観では、信じる度合いに応じて信用という面では揺るぎないものが出来てくる

経済を考える時に、この信用と価値を考えた時に
この価値の循環を想像したときにどれだけの奇跡が起きるのか
幸福感に包まれた身震いするようなモノが現れてくるような予感がする

画像の説明
政府が、それほどの仕事をするまでも無く
民間での仕事と、生み出す商品やサービスに
真理価値がありその価値のレベルに純粋さと高みが有れば
その価値は、素晴らしい対価を産み出し代金を生み出し
素晴らしい給与所得を生み出してくれる
この循環がGDPを押し上げ、結果として税収が増えることになる

政府が余計な仕事をすることで効率を逆に悪くしている事の方が多そうなのだ
政府は、極力小さな方が良い
神が願われるような未来投資には
もちろん積極的に投資する必要が有るが
民間の力で出来にくい場合だけだ



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