陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-12-08

Top / FrontPage / 2020-12-08

嫌いな人がいなくなった

幸福の科学で仏法真理を学んできて繰り返し気づかされること
確かに視点が変わってきている
間違っていると思う人は良く目につくけれど
それで全否定に入ることはない

この安らかな境地は、救世主から直接同じ国の言語で学ばせていただいているからだろう


と言っても、苦手な人はいる
問題だと思う人はたくさんいる
そんな人たちが、私にとっての伝道対象者だ

真理を学ぶ以前から苦手に感じる人はいた
若いころそれほどの学びをしてきたつもりも無かったけれど
姉の影響で左翼的思想に縁が有ったことも有るだろう
銀行時代、労働運動らしきものも有ったけれど

その両方ともに、それぞれの立ち位置でのあまりにも表面的な考え方が見えた

銀行を止めてデザイン学校に入り、
学生会の会長になった時のスタッフたちにも色んな人がいた
社会制度のいい加減さに義憤を感じるもの
その中でウマく生きやすく立ち回ろうとするもの

結局はそれぞれの個性に合わせた生き方なのだ
その後も、左翼的な人たちとのご縁も有り
一つのパターンが見えた

結局は、自分の立ち位置に合わせた都合で判断して言動を繰り返す
本質的な信頼が出来ないのだ
基本は、優しさを前に出すけれど自分自身の優位さが担保されての事である

と、このように言っている私自身も同じである

どうしても、全ての考えの中心に私と言う個人がある
主体なる存在を私と言う個人から引き離すことが出来なくて
正しい判断が出来るわけは無い

画像の説明

結局は、信仰心である

テレビを見ていると
このコロナ禍での初詣のことをされていたが
ほんとうにアフォらしい内容なのだ
それが実態なのだ

それで、ご利益があるかどうかを言っているようだが
単なる気休めであり、ご利益など有りようもない

それぞれに信仰心は有ると思われているのだろうが
そんな、自分中心の信仰心は信仰心とは言えない
信仰にも、良い信仰、悪い信仰、普通の信仰と有るのだろうが
あまりにも、あまりにも、普通の信仰なのだ

今夜、7時から「ウイズ、セイビア」という講演会が開催される

どのような信仰を説かれるのか
このような世界情勢の中で
アメリカ大統領選にも現れているように驚くようなマイナス勢力が有る

日本も含めて、多くの人々が自己中心に自分の正しさを前面に押し出そうとする
このままで地球の未来が良い方向に向かうとは思えない

世界が救世主を認め
その言葉に耳を傾ける必要が有る



コメント


認証コード(2070)

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼