陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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映画「夜明けを信じて」

https://the-liberty.com/article.php?item_id=17687
今、上映中の映画
大川隆法総裁の教祖伝
最初の東京ドームでの大講演会のシーンで始まり終わる

1991年7月15日


忘れもしない
私たち夫婦の新婚旅行だ
お腹の中に長女が居た

総裁は、大手商社を退職し幸福の科学の始動に向けて動き始められたのが

1986年

私が最初に霊言に出会ったのはこの後だったろうか
大阪の友人と一緒に
真理を求め始めたころだ
色んな本を読み漁りお互いに教え合った頃に霊言集に出会った

林原の正木和三氏も現れ
前世からの縁もあったようで
スピリチュアルな旅の始まりだった
一緒に兵庫県のお寺に毎月参拝し仏教を学び始めた

しかし、その友人は、幸福の科学の流れには入ってこれず
そのお寺に通い続けていた
私は、その和尚に総裁の三部作の「永遠の方」が出た時に献本し
一か月後に感想を聞いたら非難めいたことを言われた
(正木先生にも献本したが反応はかんばしくなかった)

そこで、白紙の上に総裁と和尚の話を載せて考えて見た
和尚の話は、本にはなっていなかったが
私は、毎月の説法を録音し文章にして残していた

画像の説明

結果は歴然としていた

その後、決定的な認識の違いも見ることになり
そのお寺に行くことを止めた

友人も正木先生も、そして当時の林原の社長も通われ続けたようだ

その後、彼は、霊的な扉が開いてしまい色んな活動をしているようだ
前世でも発狂して古賀藩の城主をしていたが
当時、岡山の庭瀬藩の弟の元に送られて晩年を過ごしたという

その時、私は、そのすぐ近くに住んでいた

正木先生も林原社長も霊的な所がある人だったけれど
詳しいことは知らないが、その後警察沙汰になるような事も有ったようだ

私は、幸福の科学の流れに入ろうとしたが
当時有った入会願書試験に落ちて入れてもらえず
書店で本だけを取り続けた

その時に近所で同じ本を注文していた人が居たので連絡し交流が始まった
彼は、すでに会員になっていた
毎週数人の人が集まる程度だが会の集会にも参加しやがて入会を許された
そして、彼には、霊言能力が有った
総裁先生と同じようにチャネリングが出来たのだ

私の潜在意識に入ってもらい会話したことも有り
一度も口に出したことは無かったが
心の中で自問自答している内容を話し合った
その後、二人の結婚することになる女性霊も来て心配していたようだ
宇宙人らしき存在も話しかけてきた
(いろんなことが判り面白く有った。ただ、霊動が開けても諸刃の剣で非常に危険でもあり、彼を幸福の科学から引き離そうとする力も働き、半年でそのような霊道現象をストップし先生からの学びを中心にした)

その頃の出来事を思い出しながら映画を観た

今、コロナ禍で更なる天罰も有るという
苦難の時代が続くようだ
だが、私もこの時代の夜明けを信じている
そして、ゴールデンエイジの始まることを信じている

神の願いを少しでも現実化出来るように頑張るだけだ
救世主が現れている以上様々なことが起きるだろうが光は先に見えている

24年前に正木先生から聞いていた
中国の日本侵略、富士山の愛鷹山周辺での噴火
様々なことが有るだろう

そもそも、その原因は、日本から本当の信仰心が失われ
自分を中心にして考えすぎているからだ
大阪の友人が道を間違えるようになった原因もそこに有る

全人類の親である神(創造主)の願いがどこに有るのか考えなければ
霊的な力を得ていたとしても狂ってくることを学ばせても貰った頃の話だ



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