陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-10-15

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考え方、意見の違いの元になっているもの

世間には、必ず意見の違いがあり対立する
その意見の違いの根本の根本はどこに有るかと言うと世界観の違いだ
世界観が違うと人生観も違い、当然、意見の違いとして現れる

用をたすにしてもトイレでなら問題ないが
それ以外の場所で用をたそうとすると問題も起きるように
その所と時を間違えると善と悪とが違ってくるようなものだ


森の基本 2

世界が有り思いと行いでこの地球の文化を造っている
世界の観方が違えば、違った文化が出来てくる

この地上世界は、どのようにしてどうなったという目に見える形で現存するが
この地上世界は、大地という目に見えにくい上に出来ている
それが、何を、なぜに相当する
課題と動機だ

そして、その大地とこの地上世界は
宇宙という空間に浮かんでいる

この宇宙の真理を理解せずに生きるならば、アリの群れの如き存在だろう

この世界がどんな時空の上に浮かんでいるかを考えたのが次の図である
この宇宙の真理を理解せずに生きるとするなら
どう表現したらいいだろうか

バカとか賢いとかいう以前の問題で
考えたことが有るか無いかの問題だ

深く考えさえすれば、正しい世界は見えてくる
思考停止した頭脳明晰な人たちの事を何というかと言えば
一言「愚か」に尽きる
画像の説明
このように、白紙の上に違う意見を書き出して
現実、事実、真実と、次第に深く考えて行くと正しいものが見えて来る

それなのに、多くの人があの世は「無い」だろうという意見だ
霊的世界が無いとすれば神仏など存在する訳も無い
これでは、信仰心など有る訳も無い
高邁なる精神など理解できる訳も無い
犬猫レベルの人が多いということになる

意外と、高学歴の人たちに多い
東大、京大などの頭脳明晰な人たちに多いことに驚きを感じると同時に
その人たちが社会のリーダーの主流であることに恐れを感じる



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