陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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科学的証明

その正しさを証明する時
その正しさが正当性を持つかどうかは
論理的・客観的・実証的であることが要求されるという


論理的とは、筋道立てた説明が出来る事
客観的とは、その利害を離れた善意の第三者から観ても正当な事
実証的とは、誰がやっても同じ結果が出て再現可能な事

実証性は、論理性と客観性の二つの上に成り立つことのようだ
論理性は、時間的な積み重ねの上に有り
客観性は、空間的な違いの中に有っても納得がいくもの

この科学的という言葉の対極に有るのが非科学的で有り
その代表的なのが宗教的なものかもしれない

現代社会は、この科学と宗教をきっちりと分けているようだが
はたしてそうだろうか
宗教を分類すると私流では有るが次のようになる

無宗教・一神教・多神教・至高神

「宗教」を宇宙を指し示す教え(論理)と考えるなら
「無宗教」も宗教の一部であることは間違いない

科学的とは、宗教的な信じるとか思い込みとかという感覚から離れ
より論理的、客観的、実証的な立場を取ろうとするが
このような見方が出来る対象は、ある意味限られている

科学的と言いながら、論理性、客観性、実証性を越えているものに対しては無力だ
実は、世界の中には、どうやらこちらの方が多い
目に見えず触れもしない、まして、実験すらできないことが満ち満ちている

私たちの身の周りに、明らかに満ち満ちている情報は
電波などは、それに対応した受信機を用意すればその情報を取り出すことは出来る
しかし、取り出せない情報は無いモノとして認識され処理されてしまうのが
科学的という弱点だろう

科学が進歩することで
目に見えないものが、この宇宙に
私たちの周囲にはあふれていることが証明されているが
本当の意味で科学的に考えると言うならば
見えないモノ、確認のしにくいモノについて考えないという事を
エポケーとか言うらしいが
このようなモノを考えてく姿勢こそ本当の意味での科学的と言えるだろう

宗教組織である「幸福の科学」が
その名の中に科学という文字を入れている背景にはそのような意味が有るという

本当の意味での科学的態度をとるならば
無知の知」という考え方も認識しながら
論理的、客観的証明をしながら
実証的証明として、実際に幸福になっていく人が増える事で証明するしかない

聖書の中に書かれているイエス周辺で起きた様々な奇跡
同じことが今、起こっているが信じられる人は少ない

科学で証明される成果であってもなかなか多くの人が認めるには時間がかかるけれど
それと同じことのようだ

実体験し、実際に経験したとしても
面白いことに不信という現代社会の暗示の力には恐ろしいモノがある
スタップ細胞なども否定され闇に葬られているが
再現性、実証的に多くの人に認識してもらう事は難しいようだ
時々、世界でその実験の成果が出ている事を目にすることが有るが
それでも、いまだ市民権を得ていない

私は、昔、透視とか念力とかやっていたけれど
そちらに関心が無くなってくると遠い記憶の中で過去の経験はあいまいになってくる
しかし、そのような経験があったことで
思いの力の凄さ素晴らしさを理解できている面が有るけれど
100%の確信が無ければ透視も念力も現実に起こりにくいモノだ

この思いの力を逆利用しているのが
中国共産党や北朝鮮だ、オウムと言う邪教もそうだった
ウソも100回言うと本当になるとして
今も多くの人が暗示にかかり間違った歴史認識とか信じ込まされている

台湾が中国共産党の領土だったことは一度も無い
日本が中国に戦争で負けたことも無い

思いを科学すると言っても難しいけれど
このフラクタルの森での
論理性や客観性の様々な図を使って考えるなら
信じるだけや暗示にかかってだけの認識を越える事が出来ると思っている

人々の「思い」このレベルアップの為に
この修行場としての「この世」がある
神の願いが有る



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