FrontPage/2020-09-03
正しき心の探究
この世界が、神の願いによって創られていることを信じることが出来るかどうか
私たちの心の中にも神の願いを投影され仏性、神性が人々の心の中にはある
しかし、私たちは、それを忘れ、日々、個人的な思いで生きている
時折、仏神と同じ心が前面に出たとしても、単なる優しさだけが暴走し
周りに迷惑をかける左翼思想となってもいる
自分たちの目先の都合で生きているのが現実なのではないだろうか
幼少時にはもちろん大人になってもその傾向性は残っているがゆえに
訴訟は絶えず、紛争は絶えず、戦争も絶えることがない
神を認めることが出来ない人たちは
時折のぞく神性により理想をイメージすることが出来るため
自分自身を神なる存在と観る傾向もある
神仏の子である以上あながち間違いとも言えない
しかし、マルクスを信奉する無宗教という宗教を持っている人は注意が必要だ
信仰無き人たちが歴史の中でどれだけ多くの人たちを粛清し殺してきたことだろう
時折「正しき心の探求」をすることだ
神ならどのように判断されるだろうか?・・・と
まず、あの世を認めるべきだ
霊界を認めなければ神なる存在も無い
死後の世界、霊界、あの世が無ければ
神も悪魔も幽霊も存在はしない
色んな人が神に成り代わりやりたい放題のことをしでかすようになる
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