陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-08-24

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利自即利他

人は、何を求めて生きているのか
一言で言うなら、幸福

その為には、基本、衣食住を満たす必要が有る
その衣食住を求めるためには現代社会ではお金は必要
そのお金を確保するために何らかの労働が必要となる

その労働の対価を得るために何らかの成果を出す必要が有る
どうしても結果にこだわることになる


これは、陰陽でいうなら表面に浮かび上がる目に見えやすい部分
どうしても、この眼に見えている部分で人は動かされる
それは、結果であり、お金であり、評価であり、称賛であり共に関連している

しかし、陽を支えている
陰の目に見えにくい原因部分を見る必要が有る

評価、賞賛は、何から生まれ、
その結果としてのお金は、何から生まれるのか
その価値は何から生まれるのか

それは、当然ながら
他者に対してお役に立つという事だ
何らかの与える事が無ければ
賞賛を得ることは無いし
対価を得ることも無い

そこから分かることは、
人間とは、基本、お役に立ちたいと思って生まれ生きている存在なのだ
その証拠は、福祉とかボランティア活動に観られる
ただ、これらの活動も表面的になり偽善的になる側面もある
純粋性が求められるのだろう

結果として求められる利自と
原因としてある利他とのバランスが大切となる

「利自、即、利他」という教えが有る

どのような活動も利他の面があり
バランスが取れた活動になると利自即利他となる
利他(他者を利する)の面を無視し
利自(自分が得する)の部分が多くなりすぎると
当然ながら商売でも尻つぼみになって行く

利他(お役に立つ)を忘れ結果として現れている所ばかりを観る事で
結果主義となり
結果至上主義となることで
社会に害毒を流してしまう

現在の政治はまさに地獄領域に踏み込んでいる
結果である「当選」という果実を得るために
「利他」の面が表面的になり賄賂が横行する
利自の思いが強すぎると偽善になってしまい
まともで適正なまつりごとなど出来るわけが無い

さくらの会など分かり易いけれど
直接お金をばらまく場合もある
給付金と言う形も合法的な買収だ
確かに、このような異常事態に資金提供はありがたいけれど
ただ、行き過ぎてしまう傾向がある
補助金などの中にもある
MMTやベイシックインカムなどの中にも忍び込んでくる

社会全体が結果主義となり
目に見えにくい本当の価値を観ようとしなくなった結果だろう
道徳とか宗教心とか
そのような感性と悟性の部分をないがしろにして
ハウツーの部分だけ
結果の部分だけ見せるような教育が横行したのが原因だろう

右脳的な所を無視し左脳的な部分ばかりで国家を造るとおかしくなる
もちろん、逆も真なり

ただ、思想宗教なく政治経済を執り行うなら
それこそ、獣の世界となってしまう

神は、それを許されることは無いだろう



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