陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-08-18

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死後の世界の有無

画像の説明


多くの方にこの図のような質問をしてきた

その結果は、左側の意見の「無い」という人が多いのだ
完全に無いと信じ切っている人は少ないようだけれど
「わからない」と言った人や
「有るかもしれない」といった△の人達の中にも
宗教アレルギーの人は多い

幸福実現党の政策に妥当性を感じている人たちでも
宗教を前面に出さなければ支持できるのにという方が多い

創価学会、公明党の人たちに同じ質問をしたことが有るが
明確に答えてもらったことが無い
「死んだら大宇宙と一体になる」ということを聞いたことも有る
キリスト教の人からも同じ言葉を聞いたことが有るが
どうも、死後は、責任を取るべき自分は消えてしまっている可能性が有る

有るか無いか
明確な答えを持てなくても
それが真実ならばに有るような考え方をしているようなら
そちらの世界観なに引っ張られているのでしょう

現実は、宗教にアレルギーを持っている人も置く
私自身も深く考えることなく宗教が嫌いで生きて来たけれど
30歳ころ、自分の人生のスタンスを決めるために
有るか無いかをとことん考えたことが今の精神性の基礎になっている

世間には、幽霊話が良くあるが
死後の世界が無いと思って死んだ人は、
自分が死後、自分という存在を認識できることに戸惑いを感じるという
無いと思っている世界ではあの世なる世界に旅立つことは難しいようで
左側の認識の人たちが、幽霊話に登場するような人たちのようだ

あの世に旅立てず、この世に残り家族のそばで様々な障りを起こす
どんなに先祖供養をされたとしても
左側の世界観ではどうしようもない
先祖供養中心の宗教もたくさんあるが
左側の世界観では説得も出来ようがない
本当に宗教を金儲けの道具と考えているのでしょう

僧侶にも質問することが有るが
死後の世界を本当に信じている人は少ないようだ
あの世も信じていないのに「戒名」なるものを付けて収入にしている
詐欺行為でしかないが
あの世を信じても居ない遺族がその戒名に高額を支払う事に不思議を感じる

私は、死後の世界も
創造主なる存在も
その神々の願いも信じている

「子を持って知る、親の恩」
「子を持って知る、神の願い」
「孫を持って知る、神の喜び」
家庭というモノは神がこの宇宙を創られた動機の一端をのぞかせてくれる
あの世(彼岸・陰)とこの世(此岸・陽)を創り
より良きもの、より素晴らしいものとなろうと努力している
その姿と思いの中に感動がある

確かに「死んだら大宇宙と一体になる」というよりも
親と子の結びつきが強いように
ある意味、神と人間は常に一体で有るようなのだ

目に見えない最たるモノを学ぶために
「宗教」は無視できるものでは無い



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