陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-08-06

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目の前に道がある
左の道は平たんな穏やかそうな道だ
右の道は、山に入っていく険しそうな道だ

人は、人生の途上で
常に選択を迫られる


ただ、その道の先に何が待ち構えているのか、わからない
良かれと選択した道の先に盗賊が待ち構えている場合も有り
険しいと思っていた道の先に桃源郷が開けている場合もある

しかし、道は縦横無尽に張り巡らされ
途中で別のコースに入ることも出来る
常に目の前には分岐する道が開けている

道は、人の知力と体力
その徳分の違いでもその道の意味に違いが出る
その人に合った道も有れば合わない道も有る

どの道を選び歩き始めるかは
その人の判断ではあるが
その人にとっての
幸福へ至る道と
不幸へ至る道とがある

自分を見極めず
道を正しく選ぶことが出来なければ
分岐する道を目の前にして
いつも間違った道を選ぶ傾向性が有るならば
その人は不幸であるのだろう

ただ、道は本当はどこにでもある
不幸の奈落の底に落ちて行く寸前にも横につながっている道は有る

その横道に入り
正しい道を選択する努力をし続けるなら
桃源郷、理想郷に至る道に戻ることも出来る

その為には何が必要なのか?
それは、常に「正しき心の探究」をする姿勢だ

自分にとっての正しさばかりを探究してきた結果が千尋の谷に落ちるような危険な道に入ってしまった
正しき心の探究とは、神の心
神仏の心から観ての正しさ
神仏から見られて美しいと診られる心
その心をもって道の前に立ち
その心の声に従って道を選んでいくならば

神仏のおられる世界に向かって行くのだろう

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今日は長女の誕生日
原爆の日

メディアの報道は
原爆の悲惨さ
平和の大切さが中心となっている

これは陰陽で観れば陽の面

陰の面を見なければ道を間違える

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お盆の里帰りにも自粛要請の話がある

感染予防の面から言えば当然のようにも聞こえる
であるなら人と会うなと言っていることだ

これは、経済の面だけでない人間としての生活を否定しかねない
経済も勿論無視していては
人間の生存に関わってくる

原爆も戦争もそうだけれど
恐怖心にかられて道を選ぶなら

ザリガニの如くなり
後退りばかりすることでドツボにはまる事になる

人の命を守ろうとして
臆病な選択ばかりをしていては
逆に人の命を奪うことになるばかりか

神仏から見れば愚かしく感じられている可能性もある

原因を知り結果を深く考え
神の願われる道の選択をしたいものだ

危機の時は、道を正しく選択することは難しいだろうが
私たちは、神仏の子であり
神仏と同じ創造の力を持っている

危機の時、逆に神に期待されているのかもしれないのだ



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