陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-08-02

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霊界を信じることが出来ない人に対する話 2

物事を考えるのに論理的に理性的に考えるべきだと言われますが
それは、実際にはどういうことなのか
自分なりに今まで考えてきての結論は次の図のようになりました

画像の説明


もっと簡単に描くと
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何をどのように考えても
この図に有る要素を無視しては何事も起こらないし存在すらできない

世界があり、その環境の中で起きている結果は、
どのようにしたからこうなったというように
表面に出ている現象だけで説明しがちですが

身近な事で考えても
何事をするにも
状況(環境・世界)を観て
動機(思い)が有って
具体化(行い)される経緯が有り
その状況の中で結果として新たな状況が生まれてきます

経済を考えるにしても
その流れを促すお金にしても
この法則から逃れることは出来ません

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MMT理論が暴走し害毒を流していますが
お金の価値は、信用がなくなれば消えて行く
誰が何故どういうモノにどういう理由で信任を置いてるのか
その信用という言葉は、確かに曖昧であり
三橋貴明氏などは信用という言葉を使いたくはないというので質問したことが有りますが

でも、この曖昧で分かりにくい所が非常に重要なのです
その重要な所を見ようとせずに数字だけに出て来る所だけで考える為に狂ってきます

この「思い」に関する部分がとても重要であり
その世界観と連動して
後のモノに影響を与えます

この思いの部分の探究無しに
世界を正しく見て正しい判断を下し
理想的な成果を得ることは不可能です

幸福の科学の基本教義である
 「正しき心の探究」無くして幸福という果実を得ることは出来ません

画像の説明

仕事を考えても
商品やサービスに込められている「思い」
これが重要です

このように論理的に世界を観て行くと
人の存在であっても
ここに何が入ってくるのか
その存在の為の必要十分条件が何であるか
何が重要なのかが見えてきます

世界は、いま、ここを無視して結果ばかりを追い求めているために狂ってきているのです



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