陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-07-12

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神が願われるコロナ後の社会

神の願いを理解するのは難しいが
フラクタルの森で考えると見えてくる

神の子である人間である以上
神の心と同じものがそこには在る
子や孫に対する想いと通じるものが有る


もちろん、親と言ってもいろんなレベルの親の気持ちがある
自分の中の最高レベルと思えるような心境の中で見るならば
神が願われている想いが伝わってくる

自分の良心と言ってもいいのだろう

仏法真理を知らず
信仰心というものが無ければ
この良心というものが浮かび上がってくることは無いだろう

陰陽の目に見えるようの部分ばかりで考える癖が人には有る
しかし、陽の部分を支える陰の部分を見ていなければ元も子もない

心の世界の価値を重視する必要が有る

大川隆法総裁は、政治にも経済にも
人の温もりを感じられるようなものを願われている

私たちが、子や孫に願うものも
人の温もりを感じられるようなものだ
その温もりが
全てにプラススパイラルを起こすようなフォースとなる事を
私は、強く信じている



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