陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-07-02

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お金の使い方

そもそも、お金とは何かという問題が判らなければ
使い道も稼ぎ方も判らないことだ


ただ、結果として浮かんでいる事だけで右往左往することになる

確かに、お金とは有り難いモノだ
その便利さ、その有難さに翻弄され
人々は奴隷のようになっている

陰陽で見るならば
原因と結果で見るならば
他者との関係で見るならば
その背景には「信用」がある

ただ、信用と言っても思い込みの部分も含む
暗示によってコントロールされたりもする

お金とは、「価値」を代弁する
価値とは、人それぞれに感じる程度はモノによって違いがある

何に価値を感じるか
どの程度の価値を感じるか
その表現方法でも有るのだろうが
お金で表現できない価値も有る

だが、ほとんどのモノがお金で換算することは可能だ

「信用」と「価値」

過去、世界中で信用を集め
価値あるものとされたモノには様々有る

チューリップの球根のときも有り
ダイアモンドや金の時も有る
時代と共に価値あるものとみられるモノには変化が有る

ただ、物ではないけれど
一番信用を集め価値を認められお金を集めて来たものとは何かといえば

「宗教」である

奈良の大仏は、国家予算の倍ほどのお金が集まり創られたという
教会や寺社仏閣の建立には多くの資金が寄せられる
人々の心の中には宗教に価値を感じるところが有る

それを当て込んで
金集めの為に偽物の宗教がいつの時代にも跋扈し
伝統宗教もその大衆の思い込みに胡坐をかいて自己保存を計る

奈良の大仏も伊勢神宮も
当時に流行った疫病を沈める為に建立されたそうだ

天罰、神罰を身に染みて感じていたことも有るのだろう

神仏、天からの「信用」を得ることがどれほど大切なん事なのか
お金の「価値」に換算しても無視できるものでは無い

しかし、現代社会では、皇室は天に祈らず
人々は、いったい、何に祈ろうとしているのだろうか

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