陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-05-31

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「自分が神だと思っている」

この言葉を二人の人間から聞いたことが有る

私自身は
幸福の科学に出会い
仏法真理を学び

自分でも霊的体験が色々あったけれど
正直、知らないことが多かった
考えたことも無いことが多かった

中でも「神」という概念だ
神社などで手を合わせて祈るときも
何かご利益をいただける存在ぐらいにしか考えていなかったのだろう
深く考えることはなかった


お寺で手を合わせる時も
ご先祖様がその立場にあるのかぐらいの認識だったろう

まして、「創造主」たる「神」があり
私たちに深く関わっていることなど考えることは無かった

ダーウィンの進化論のように神なる存在を無視し
偶然に突然変異と自然淘汰の結果
適者生存を繰り返すことで進化して来たと思い込んでいた

幽霊話を聞いても
霊的世界のことなどイメージすることも無く
死後の世界が有るか無いかなど考えたことが無かった

ただ、ある時
未来設計の為に自分自身の生き方を考えた時
ふと、思ったのが
死んで全てが終わりの場合と
死んでも魂が残り記憶もその功罪も残る場合と
大きく違うだろうという事だ
私たちが住んでいる時空の前提が違うと大きく違ってくるだろうと考えた

画像の説明

この、あの世が在るか無いかをとことん考えたことで今の私がある

「自分が神だと思っている」という友人たちは
死後の世界、あの世を全く信じてはいない
その霊的世界が無ければ
当然ながら神なる存在も無いのだろう

神なき世界では、自分が神になってしまうようだ
確かにその二人の友人の一人は東大卒だし
もう一人も優秀で非常に面倒見も良くて優しい奴だ

ただ、この二人は、幽霊になる資格は十分に有るという事だ
無いと思っている世界に入ることは難しいだろう
肉体は無くなっているが
実感としては自分自身がまだ生きていると思うようで
行き場を失い家族の元に残り取りつく形で障りを起こすという

そして、自分を神だと思い込んでいる人は意外に多いようだ
中国共産党の習近平や北朝鮮の金正恩もそうだろう
共産主義の元なるマルクス
その唯物論、無神論では、確かにそうなってしまうのだろう
その前段の考え方である社会主義にもその傾向は有る
左翼的な考え方は、優しそうな発想であり
リベラル傾向の有る人たちにも共通するようだ

その理由は、一言で言うなら簡単である
生きている人間が神になっているからだ

創造主たる神からの視点無く
人間を、しかも、自分自身を、自分たちを主たる存在として
その立ち位置でしか考えられなくなっているからだ

親である創造主、神なる存在の願いを無視して
やりたい放題のことをやっていては
百獣の王ライオンが、わが子を千尋の谷から突き落とす如き試練がやってくることだろう



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