陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-05-06

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真 善 美

真 善 美 という言葉がある
その対極には 偽 悪 醜 が有るだろう

私たち人間にとって
真(偽)なるもの 善(悪)なるもの
これらを見極めるのは難しい

しかし、美(醜)を見ることは比較的たやすく感じられる
器の中にも 姿の中にも 言葉の中にも
立ち居振る舞いの中にも 人生の中にもある

醜から離れ 美なるものを求めつつ
善なるもの 真なるものへと至る道を歩むべきなのだろうか

されど、天(仏神)から見れば
善なるか真なるかは 自明の理

私たちがこの地上での存在が許され
様々な人生模様が許されている背景には
見出すべき何かが
それら全ての事象の中に有るからなのだろう

善悪は、理性で
美醜は、感性で
真偽は、悟性で観る
では、知性で観るべきは何なのだろう

知性とは、学びと共に有り
学びとは真似に等しく危うくもある
しかし、学ばなければ新たな智慧を得ることは難しい
この知性を磨く旅の中にこそ魂の成長が期待されているのかもしれない


このコロナ騒動の中
メディアは、感染者数や死亡者数を毎日画面に映し出す
人々は、恐怖に洗脳され、感染を恐れ政府の経済封鎖を受け入れる

しかし、経済封鎖には落とし穴もある
消費税増税が成され景気が後退するごとに自殺者も増えてきたが
それどころでは無い状況下だ

この状況をどう観て、どう判断し、どう行動すべきなのか
真、善、美の観点から考えるなら
どうすれば良いのか

表面に浮かんでいる数字だけを追うようなら
偽、悪、醜の状況ではないだろうか

この状況が続くなら
日本という国家には、未来が無いだろう



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