陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-03-02

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天罰

天罰という言葉がメディアから出てこない
東日本大震災の時、政治家が「天罰」と言う言葉を使ったら
袋だたきに有ったことも有るように
現代社会では禁句のようになっているのかもしれない

しかし、
このコロナウイルスの発生と広がりの原因は有るだろうが
その因果関係の奥には、
単純な因果率も有るし、運命のようなモノも有るだろうけれど
間違いなく天意というものも在るだろう

天意を考えることなく
運命の好転は無い
要するに反省というモノが必要なのだ


中国共産党のやっていることは、神仏から見て大問題が有る
日本の政府のやっていることにも
国民を含めて多くの問題を含んでいる
国家レベルの犯罪をみんなで維持していて
神仏から見て反省し修正して欲しいことばかりだろう

その方向に修正が掛けられない限り
天罰は続いていくのかもしれない

現代社会では、あの世も神様も信じていない人が増えている
要するに唯物論であり無神論の人達だ
このような人達の特徴は、目に見えている成果とか
表面的なことばかりを見る傾向だ

その中心は、中国共産党に有り北朝鮮、韓国、日本へと流れている
中国は、お金が中心に有り
韓国は、整形美顔が常識になっているように表面的なモノに左右されすぎる
メンツにこだわり、真実を求める気持ちが薄らいで感情だけで動く

そのような国家は、目に見えない神など肯定することなく
自分自身を主たる存在として
自分自身を神と見てしまうようだ

陰陽の陽の部分だけ見ている事になる
目には見えにくい部分を見ようと努力しなければ
反省と言っても浅い所でしか出来ないで
「天罰」など考えるべくもなく
「運」が良くなる訳が無い

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