陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-02-13

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社会を正しく見る為に

国家社会を観るのに
その国の経済や制度だけでなく
その国の思想宗教を観なければ
立体的に正確に観る事は出来ません

画像の説明


日本では、政教分離を言う人が有りますが
本当は、政治と宗教は分けられるモノではありません

個人レベルで観たとしても
その人の経済活動や人生を支えている思想宗教があります
その人なりの精神性が無くて生きているなら
動物たちとそれほどの違いは無いと言えるでしょう

政治の世界でも
意見の対立は常に付きまとうモノですが
その違いの元が何処に在るのか深く考えるなら
その人達の思想宗教が背景に有ります

経済対策を考えるにしても
世界観、人間観の違いが大きく影響します
考えている自分自身が
今、何処に立って考えているのかで大きく違ってきます

立っている場所、要するに
誰にとって良いと判断するのか
どんな立場の指導者の考え方をしているのか
その立ち位置を考える必要が有る

個人の立場の好都合と
家庭、集団、社会、国家、神、地球レベルでの立場では違ってきます
そして、今なのか、明日なのか、どれだけ先の未来なのか
どの時期での成果を考えているのかでも違ってきます

要するに、人・時・所の想定の違いで判断は違ってきます

左翼系、リベラル系の政治家達の言説を聞いていると
この人・時・所のイメージが小さいのです

思想宗教には様々な種類が有るし、
同じ宗教でも人によって違っています

宗教観には、大きく分けて4つ有るでしょう
無宗教・一神教・多神教・至高神
左翼系、リベラル系の人達は、無宗教の人が多いようです

無宗教とは、唯物論です
共産主義でも社会主義でもあります
霊的世界も神仏を認めません
それが原因となって
本来の優秀さ、優しさが個人レベルで止まってしまうのです

個人に寄り添いすぎることになり
全体での視点、考え方が出来なくなります
社会全体の福祉を考えるにしても
その事だけを考えすぎて
その福祉を支えているのが経済の力だと観られないのです

「地獄への道は善意で舗装されている」とはよく言ったモノです
個人レベルで良かれとした政策
目先の成果を求めての政策は分かりやすいでしょうが
それだけで有るならば、あまりにも無責任です

IR法、カジノの推進でも地方財政の収益源になると推進している政治家達が居ますが
明らかに、思想宗教が無宗教です
獣レベルとも言えるでしょう

神仏の立場から観たとするならば
闇の世界で賭博が流行るのを停めにくいでしょうが
国家が法律まで作って推進するようなモノではありません

個人レベルで観れば、そのゲームは、確かに面白いのでしょうが
人々の心をむしばみ依存症まで産み出しその人の人生を狂わしかねないような事を

経済が活性化して税収も増えるからとして推進するなど
経済の見方が狂っているからです
経済は、奪い合いに有るわけでは有りません
経済は、弱肉強食ではありません
経済は、共存共栄です
経済は、奪う愛では成り立ちません
経済は、与える愛の循環です

上っ面しか見れない場合は
その人の世界観、宗教観が狂っているからです
動物の魂からあまり進化できていないせいでしょう

どんなに頭脳明晰であっても
その知性や理性が優秀であっても
感性、悟性と言った見えにくい部分が見えていないからです

常に陰陽の両面を観ていく必要がある
左脳的な所と右脳的な所を働かせる努力が要る

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