陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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二つの視点で考える事の重要性

二つの視点で考える事の重要性は
次の図でうまく表現できていると思う

画像の説明


哲学的に表現するなら
全てに陰と陽の面が有る
表面に出ている陽の部分と、裏面で支えている陰の部分だ

時間的考察としての「原因」と「結果」である
空間的には「他者」と「自己」の視点
人間的には「情」(思い)と「理」(行い)である

この3点が絡み合いながら複雑な状況が生まれてくる

人は、どうしても目に見えている部分
表面に浮かび上がっている部分だけを見て
過剰に反応しやすい面が有る

その複雑さ、混沌としているように見える状況の中でも
常に二つの視点を持っていると
様々な問題も簡単に分かりやすく対処できるようだ

要するに物事が立体的に見えることで正確に認識できて対処することが出来る

たとえば、人間の一生を考えるにしても
彼岸と言う言葉は、仏教用語だけれど
この彼岸と言う言葉は、あの世の事である
本当ならば、彼岸と此岸はセットで教えられるべきモノです

現代社会は、唯物論、無神論の蔓延で
本当にあの世があるなどと考えている人は少なくなっているようだ
お寺の僧侶であっても
教会の司祭であっても
色んな人に質問してきたが、あの世を信じていない人が多いのだ

法事なども生きている人の気休めとして行い
亡くなった人があの世で使うための戒名であっても
あの世も信じていないのにバカ高い値段でやりとりされている
まさに詐欺と言っても良いのだろうが
遺族にしても僧侶にしても当たり前の如く使っている

本来、彼岸と此岸は一体なのです
彼岸(あの世)と此岸(この世)は、つながっていて
表裏一体として有るものです

普段は、目に見えないあの世の事を考えることは難しいだろうから
お彼岸のころにはあの世の事にも心を向けましょうと言う所でしょうか

キリスト教にあるホリデイ(聖なる日)の考え方のようでもあるでしょう
一週間の内一日だけでも聖なる日として教会に行きましょう
神様の世界に心を向けましょうと言うことのようです

この両方の視点を忘れ
この世だけの視点で生きて
あの世のこと、霊的世界のこと、神様の世界の事を忘れて生きていると
悪魔達が支配する世界となってしまいます

本当に、彼岸(あの世)のことを忘れ去って
死ねば全てが終わりだと考えているようだと
本当に見えている結果や自分だけのことで考える傾向を強くします

図の中にある政治や経済の見方でも
陽の部分、表面に浮かんでいる所しか見れなくなります

本当に、彼岸(あの世)なる世界が無いのが真理ならばそれでも良いのでしょう
今、ここに存在する、自分の都合だけで考えていきれば良いのでしょう
つらくて死にたくなれば自殺もOKだという考えも出てくる

宗教などは人の弱みにつけ込んで金儲けをする道具でしょう
共産主義のマルクスの言うように宗教とは大衆の麻薬であり
そのような麻薬患者は強制収容所に入れて教育しなければなりません
中国共産党が、ウイグルなどでやっている強制収容所です

思想変革が出来ない人達は臓器を取り上げてビジネスに使えば
莫大な利益を生みます

霊的世界、あの世を無視し、神を無視して居ればそれほどの事までやれるようになります

しかし、キリスト教にしても、イスラム教にしても、仏教にしても、ユダヤ教にしても
世界宗教となった宗教には、必ず、霊的世界の描写があり
神々の言葉があるように
そして、人の心の中に良心と言われるようなモノがあり
神仏のような雰囲気の心があることから観ても
無視することは出来ない世界のはずです

この世に生きている以上
あの世の事を深く考えることは難しいけれど
自分自身の心の奥のこと
神様のことを考える視点があれば

共産主義のような愚かな判断は出来なくなるのですが
あの世の事など、霊界の事など無きモノとして
そのような洗脳をされて生きていると
死後の世界に行ってから
無いと思っていた世界が現に有ったとすれば
その後悔はどれ程のモノになるでしょう

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