陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-01-31

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左翼(リベラル)と保守

いろんな意見が二つのに別れ対立が起きている
その対立は、なぜ起きるか考えると
これは、このフラクタルの森のメインテーマである陰陽学そのものだ

陰陽の基本は、
時間的なモノと空間的なモノ
そして、その中で生きている人間的なモノで観る必要が有る

時間的なモノには、原因(陰)と結果(陽)があり
空間的なモノには、他者(陰)と自己(陽)があり
人間的なモノには、感覚(空間)的なモノと理知(時間)的なモノとがある


人間が何かを考える時にどのように考えているかといえば
この4つで考えている

原因(陰)と結果(陽)そして他者(陰)と自己(陽)
この時間と空間のタテ軸とヨコ軸でサーチしている
バーコードを読みとる光のようなモノに似ているようだ

4つの象限が有り、どこを中心にどのように観ているかに関わってくる
ここでの翻訳で少し変えた方が分かりやすいので
他者を全体とし、自己を個人と直して
結果を幸福と翻訳します

全体の幸福・個人の幸福
  ・・・・・・・
全体の原因・個人の原因

そして、もう一つの陰陽に「優しさ」と「厳しさ」が有ります
優しさは、空間的な意味を強く持つでしょう
厳しさは、時間的な意味を強く含んでいるようです

左翼(リベラル)と保守を対比させて観るならば
左翼(リベラル)は、優しく、個人の結果を注視します
保守は、厳しく、全体の結果を注視します
どちらも大切なのです

これら全てをサーチしながら正しく循環することで
プラススパイラルが起きて来ます

しかし、現代の大学教育の中には、左翼(リベラル)傾向が強く有ります
その原因は、理知的なモノを注視しているからでしょう

見えにくいモノ、隠れているモノを見にくい性質がそうさせています
左脳(時間)的なモノを鍛えすぎると結果を重視し
右脳(空間)的なモノを忘れていると全体を無視して個人を重視し
左翼(リベラル)傾向が強くなるのです

これは、頭の良さが愚かさを生みだしている事を意味します

左翼(リベラル)傾向とは、別の視点で説明すると
左脳的なモノばかりを鍛えすぎると次のようなメンタル育ててしまうようです
「良識有る知識人でいたい」

良識という、誰にでも受け入れられやすい考え方に流れ優しさを中心に考えてしまう
結果として、個人の幸福を中心に観てしまい
優しすぎる考えとなり全体を無視して蛇行させるのです

色んな政策でも、国民に優しい政策に対して文句を言いにくいです
しかし、全体で見るとムリが生じる場合が多く有ります

もちろん、左脳的に優秀で右脳的にも優秀なら問題が無いのでしょうが
現代の学歴偏重主義では、どうしても偏ってしまいます

この人達が社会を混乱に落とし入れているのです
世界レベルで起きている事でも有ります

これは、全体主義を言っているのでは有りませんが
全体の幸福の中で個人の幸福という結果を見なければならないのに
個人の幸福ばかりを見てしまう所に
蛇行する原因が有ります
そして、国家や権力のせいにして個人の権利を守ろうとします

また、この左翼(リベラル)傾向を持つ人達が権力を握ると
全体主義的になるのです
自分たちは正しくて、良識的な判断をしていると信じるあまり
自分たちの意見に反対する人達を粛正していきます

要するに、そううつ病の如くに蛇行しているのです
個人の心の中で起きれば、そううつ病でしょうが
国家レベルで起きれば、全体主義となり共産主義、社会主義となり
蛇行した結果、幸福という果実が国民の側から逃げ出していくのです

弱者に優しい考え方は、過ぎれば全体の幸福を引きずり落としかねません
良かれと思って成したことが、全体の幸福を引き下ろし
弱者の幸福を更に奪っていくことになります
それを意図的に行うとするならば、それは、悪魔の手法です

今、まさに、ハルマゲドンの真っ最中です

社会主義的な考え方が中心に置かれようとする背景には
そんな働きが背景には有ると思われます

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