陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-01-25

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自己中の愚か者になる原因

政治や経済における判断で
左翼と右翼、リベラルと保守
社会主義(共産主義)と資本主義
いろんな対立軸が有るけれど
その中身は、次の図のどこに認識が在るかに関わるようです

画像の説明

頭の良し悪しとは関係なく
この世界観(宗教観)の違いが色んな判断に大きく影響します
この図で大雑把に問いかけているのが「宗教」に関する事になります

間違った世界観(宗教観)の元に思想(人生観)を構築するとしたら
「愚か者」になる資格は十分です


もちろん、私は、右端です
しかしこれが真理でなくて左端が真理なら、私は、トンデモ無い愚か者です
そして、宗教に関わるなど愚かの極みです
金儲けの為に麻薬患者のように取り込まれていると見られても仕方が有りません
もちろん、これが逆の場合も同じです

上の図の左から右に流れていくのが、悟りの向上とも関係していると思う
そして、この段階を違った物差しで言うことも出来ます

今の自分の考えが、どこを主体として考えているかということです
誰であれ基本は自分を中心にして考えますが
その自分という器をどこまで大きくして見ることが出来るかという課題です
もう一つの視点を持ってこれるかどうかです

自・・・・・他・・・・・全体
個人・家庭・社会・国・地球・宇宙・創造主

画像の説明

この自と他と全体の3点で見るためには
少なくとも二つの視点が常に必要になります
その延長線上に全体からの視点も産まれ
神仏からの視野も開けてきます

この段階の中を人々は行ったり来たりしながら
その悟りを磨いているのです

そして、もう一つ大切なことは
宗教を考えるにしても
神様を考えるにしても、人とは、片方の面でしか考えにくいことです
二つの視点が必要なのですが
ここでも、自分だけを中心にして考える傾向性があります

信仰と言っても、自分からの願いしか考えていない場合が多いのです
本質は、神からの願いが有っての事です

世界観が左側に偏っている人達は
どうしても自分を中心にして考えます

そうすると、他者の視点すら霞んできます
自分が考える正しさしか見えず
他者の主張する正しさは、攻撃すべき正しさだけになってしまいます

唯物論、無神論の影響を受けている人達は頭が良いように見えるのですが
私には、愚かに見えます
思考停止させて見えている世界だけで生きようとするために
結論は早く合理的な判断に見え
そのために利発そうにも見えます

結局、何が言いたいかというと
結論的に言うならば
頭の良し悪しよりも「愚か者」になって欲しくないのです

創造主がいたとしたら
神なる、親なる存在がいたとしたら
自分を中心にして他者をないがしろにしたような生き方をしているなら
そんな我が子を見たら
それこそを悲しまれるだろうと思われるからです



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