陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-01-22

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何を持って悟りが向上したと言えるのか?

悟りを比喩で考えてみた

悟りとは、悟性(O型)
人の持つ徳分には、他に
感性(B型)、知性(A型)、理性(AB型)が有る

悟性の本質は、一言で言い切るなら「お役に立つ」
O型の人は、ストレートにお役に立ちたいと思う傾向性を持つ
B型の人は、感性というフィルターを通してお役に立ちたいと思う
A型の人は、知性というフィルターを通してお役に立ちたいと思う
AB型の人は、その両方を通してお役に立ちたいと思う
そんな傾向が有る

ただ、その思いの方向がどこに向くかで
その悟りの質が変わってくるのだ
その向かうべき方向は、ハンドル操作で自由に決めることが出来る

向かうべき対象は、様々に変化するが
大きく見るならば次のような3点になる
自と他と、そして、全体という拡大した視点

それをフラクタルの森の中に焼き付けて言うならば
人体の見る視点、考える部位で言う事も出来る
右目から左目、そして、第3の目
左脳から右脳、そして、額に有るというチャクラ
そして、頭上に有るというチャクラ


具体的に言うならば
自己の考え、他者の考え、神仏の考え
自分の都合、家族の都合、企業の都合、社会の都合、国家の都合
地球の都合、銀河の都合、宇宙全体の都合、創造主の都合

片目で見て
片方の頭で考えていると
自分だけの考え
自分の都合だけで考えている事になる

これは、人間と言うよりも動物的な判断に近くなる
本能は基底にあり、その本能に基づいた行動のみが表面に出てくる事になる

ペットの犬を考えても分かることだが
動物的な側面しか出せない犬では人に迷惑をかけることもある
愛情を与えられ教育されることで人々に感動を与えるような犬もいる

これは、人間と言えども同じ事でフラクタルなのだ
視点、基点が、自分にしかない人は
時に他者へ迷惑をかけたり、結果として犯罪に手を貸すことになったりする

後で、別の視点で自分がした事を見た時に
穴に入ってしまいたいと思うようなことになる

今、政治家や経済人、様々な人達が知ってか知らずか小さな悟りで
小さな器の中で、その優秀さを発揮しようとすることで
社会を蛇行させているという事なのだ

自分を大きくすることなく
自己中で考えるために
世界中の自己中の動作が、世界を衰退させようとしている
神仏の視点で考えようと努力さえすれば解決できないことは無いのに

この現象世界で起こる不都合なことは
すべて、その為の学びであり
創造主が子ども達に願うことが完成されるために必要なこと

子供達が成長し立派になって欲しいと願われ
そのような全ての人生ドラマを見て一喜一憂しておられるのが
創造主で有るのかもしれない

私達が映画を見て楽しんでいる姿と同じようにダブって見える

最近よく映画を見るが
私達の人生も映画のようなものだ

大きな劇場でロングラン出来るようなモノも有る
その中にも多くの人が出演し様々なドラマが重なり
大きなドラマを創っている

主役も居て、脇役もおれば、悪役も居る
そして、その役目は、ドラマの展開でどのようにも変わる

どのような人生でも最後まで分からないのが面白い所だろう

悟りの高まりと同時にその役目とする配役の位置は変わってくる
主人公となって活躍できる為の条件は
自と他と全体の視点に次第に成長していく必要が有るようだ

額に有るという第3の目で見て考える必要が有るということだ

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