陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2020-01-11

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人間と政治を比喩で観る

画像の説明

この図を、小さくして人間に見る事も可能だ

頂点の星の部分に神仏なる存在がある
そして、底面の星の部分に神仏の子で有る人間が居る


この星の部分は、額に有ると言われている第三の目
そして、右脳と左脳が交差して全体を管理している

眼も右脳が右目と左目に
左脳が左目と右目にもつながり無限大のマークのような形になっている
その両方の視野を両方の脳内で協力して合成することで
見えているモノが立体的に見えている

もちろん観ているものだけでなく、考えるという事も
両方の脳の機能を使い、より立体的に認識しようとしているようだ
そのように遺伝子の中に設計図として描き込まれている

しかし、前の文章にも書いたように
どうしても、片方ばかりで考える傾向から抜け出せない人達が多いことで
この世界は、どうしても神の願いと違う方向へ向かいがちだ
そして不幸の連鎖を起こしてしまう

個人レベルで観てもそうなのだが
国家レベルで観ても間違った方向に引っ張ろうとする働きが生まれる

政府機能は、日本列島を人体と観た時に
頭脳のような働きをする場所だ
その判断が狂っているとその人体は成長できずに停滞する

まさに、この30年日本が陥っている迷路である
経済問題では、未来投資やインフラ整備などが政府の仕事です
本来、民間の投資や消費がプラススパイラルを起こすようなものなら
本来なら、景気対策など政府がしなくても良いのだが
未来産業への投資など、民間ではあまりにも長期過ぎてやりにくい面とか
いろんな事情で景気対策が必要なことも有るでしょう

しかし、この中に補助金など
選挙目当てや官僚の天下り先の為にバラマキが起きると
その投資は、マイナススパイラルを起こす所に流れてしまう
成長させることが出来ずに、逆に成長を阻害する要因にもなる
そして、福祉政策の中でもやり過ぎて
更に成長にブレーキをかけることもある

この政府のやるべき仕事を人体に当てはめて考えることが出来る
人体に巡らされている通信網は、神経組織が担っているが
人体を巡っている上下水道始め、物流網やパイプラインなどのインフラが有る
そのインフラを使って様々な臓器が活躍してくれている
手足の末端までエネルギーは運ばれ
日本列島という人体は健康体を維持できる

人には、大きな流れの管が3つ有る
口から肛門につながるパイプと
血液を全体に循環させる血管
そして、不都合なものを回収し再利用する為のリンパ管

口から取り入れたエネルギーの元を胃や腸の機関で加工して取り入れ
それを、肺から取り入れた酸素と反応させエネルギーとして
血管を流れる血液が供給してくれる

血管の働きは、経済を循環させ活性化させる為に有る
今、日本の血管は手足の先まで十分とは言えず
地方は疲弊し、その反面都市部に人物金は集中してしまっている
手足である地方を活性化させようとするなら
高速道路網や新幹線網、通信網を充実させれば良い
この毛細血管をもう少し太くするか、もっと張り巡らせる必要が有る

リンパ管の働きは、、人体における福祉政策だろう

血管の流れは、資本主義的でも有り    (保守的)
リンパ管の、働きは社会主義的でもある  (リベラル的)

人体で観れば分かることだが、リンパ管が機能するためには
筋肉の収縮が必要であり、筋肉が働く為には
血管から良い血液が十分に送られてくる必要が有る

この理屈が、経済社会の中にも有る
社会主義(共産主義)国家がうまく機能せず破綻している原因はこれです

血管の機能がリンパ管の機能より下に置かれているようなモノだ
優しい政治をしようとするのだけれど
貧しき者や弱者中心に全体を考えてしまう事で肉体機能は落ちていく

今、アメリカでも社会主義を公言するような議員が民主党の中では多く出てきて
若年層を中心に社会主義的な考え方を支持する人が増えていると言う
我が日本は、ある意味世界で唯一社会主義政策が成功している国だとも言われている
本当は、そう言われる部分が日本経済の低迷の原因なのだ。

社会主義的(共産主義的)な考え方の中にも
資本主義的な考え方の中にも
よい子悪い子普通の子が有る事を知っておく必要が有ります

いま、悪い資本主義と悪い社会主義が協力してハルマゲドンを起こそうとしています
世界の危機が迫っている
良い資本主義と良い社会主義が世界を覆う必要が有る

その良し悪しの元は、与える愛か奪う愛かの違いです
愛として同じに見えていてもその中身に違いが有ります

愛という、本来素晴らしきものが蛇行する原因は
フラクタルの森的に言うならば
右目だけで観ているのか、     ・・・論理・進歩
左目だけで観ようとしているのか  ・・・感覚・調和
それとも両目を使い第三の眼で観ようとしているのか
神仏の視点で見ようと努力しているかの違いが背景には有ります

片目で観ていては、立体的に見えず
距離感を間違え
良かれと思って成したことが、悪魔に利用されることになります

悪魔の手先になった人は、地獄に行きます
神の視点で見ようと努力した人々は天国に行きます

今、生きている時間の中では、ごまかしも利くけれど
死んで魂だけになった時に、その時にどちらの門が開くかは分からない
今の自分の心境と同じ人ばかりが行く世界のようです

良かれと思っている事が、実はお為ごかしで
自分の事しか考えていない人はたくさん居ます
その結果、政治の世界にその代表がいっぱい送り出されているのでしょう

ハンドルを国民総出で変える必要が有ります
そのハンドル操作を、現代に降りられた救世主から学べる時代です
奪う愛から与える愛にハンドルを切り替えるだけで奇跡は起きます
人体だけでなく日本という体も世界という体も健康体に勝手になっていきます
奇跡とはそんなものでしょう

この正月も、いろんな神社やお稲荷さんでお祈りをされた人がいっぱいおられますが
心の方向を変えずに祈ったならば動物霊や悪魔の加護を祈っているようなモノです

昔、創価学会の人の起こした吉延ちゃん誘拐事件が有りましたが
その学会の仏壇にせしめたお金を隠してお祈りをしていたと言うことを聞いたことが有ります

祈りは、必ず霊的な世界に届いているようです
潜在意識として解釈される所でも有り一念三千と言われるように
心のハンドルのままにどんな世界にも通じて行きます

悪魔の手先になってしまわないように
神仏の願いを実現するためにも
常に「正しき心の探究」が必要だと
そして、愛・知・反省・発展の原理を学び
その循環が世界を素晴らしきモノに出来るように学ばせていただいています

社会の現状を観ると、優秀な人達が間違った方向にハンドルを切っている
その原因は何かというと、信仰心に問題が有ります

信仰心が無い人は問題外ですが
信仰心が有るという人でも
信仰の中に神を中心に置かなければならないのに
そこに、自分を置いている事が有るのです

神仏の正しさの探求をしなければならないのに
自分の正しさの探求、自分の正しさの証明ばかりに心が向かう傾向です
簡単に悪魔のそそのかしに負けている人々です

その先は、地獄が待っているのでしょう

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