陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-12-28

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思い込みについて

人の認識とは、面白いモノだ
人間である以上
それぞれの世界観が有りそれぞれの考え方がある

生まれてきた時は、白紙であり色んな経験を通して学ぶ
その学びの中には、反応として積み上げたモノも有り
学ぶとは、マネをすることでもある
そうやって蓄積したモノを使いそれなりの智恵としてきたモノで生きている

もちろん、その認識の中には、
表面意識の中に蓄積したモノと、もう一つ
潜在意識からわき上がって来るモノも有るだろう
前世で蓄積したモノも有るだろう


そうやって造り上げたモノを
それぞれに、みんな、原則、正しいと思いこんで生きているのだ

そして、それぞれの正しさが色んな局面でぶつかり合う

それぞれにとっては正しいのだろうけれど
その正しさを天秤に掛けると違いはほとんどが明白に出てくる
そこまで違いが無くても両方とも正しくて均衡する場合はほとんど無いだろう
いつも使っている図で見るように
自と他と全体の視点、
自分と他者の立場の違いでそれぞれの意見に正当性が有ったとしても
神仏からの視点を入れると正当性に違いが出るモノだ

画像の説明

LGBTの問題でもそうだ
自分の性に違和感を感じ修正までしようとする人が居る
本人にとっては正しい選択なのだろう

創造主たる神の目から見るならどうだろうか

神は、肉体を男女に分けられ
その運転手として魂も創られた
時には男性に、時には女性として生まれ
経験を積みながら転生輪廻している事を認めるなら違った判断も出てくる

もちろん男性ばかりの人も女性ばかりの人も居るだろう
その転生輪廻の過程で、男女の肉体にこだわる魂も居るだろう
その魂に刻み込んだモノと実際の肉体とに乖離が有る場合起きてくる問題だ

その肉体を間違えて与えられたと見ても良いが
その状況の中で修行することを願われている場合も有るだろう
魂の修行としては、それに反発しながら生きる場合も有るだろうし
受け入れた中でその状況に合わせて調整しながら生きる場合も有るだろう
その違いに対して様々な生き様が有るだろう

それらを含めて、全てが、神の意志で行われているとすれば
このLGBTの問題を法律まで作って強引に正当化することは問題が有ると思われる。

個人の自由、考え方を優先して神の意志に逆らうことが良いことなのかどうかだ
堕天使が出るように
悪霊が出てくるように
逆らう者が出ることは、当然、織り込み済みだと思われるけれど
その環境の中での修業が意味があると思われているのでしょう

そして、今、この問題でLGBTの人達の意見を尊重しすぎて
個人の正しさを前面に出し過ぎて世界中がそちらに向かうなら
やはり、美しい世界とは言えないだろう

一部にはそのような人達が居ることは容認されるけれど
これが当たり前の世界になって、与えられた肉体の改造が普通になるような世界では
余りにも神意、天意が無視されることになりかねない

そうでなくても、神の願いが無視されて
政治や経済が運営されている

これ以上、人々の主張が神を越えるようならば
地獄がこの世にも展開されることになりかねない



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