陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-12-18

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「与える愛」の無い世界は滅亡への道

経済活動の中に「与える愛」という要素が無ければ成長の循環は起こらず
世界中がそのような状況になれば世界経済は成り立たないようになる
それは、世界が滅びの道に入るしか無いことを意味する

世界の実体経済を示す指針としてGDPがある
このGDPが何を示すのかというと次の図の中の要素だ

画像の説明
GDP3面等価の法則にある消費額、生産額、所得額の事であり
この実際に働いている数字に対して世界で流通しているお金の額が有る
お金は、それぞれの中央銀行が発行していて実体経済の数字より多いのが宿命だ
お金は信用を背景にした道具である以上
この実体経済と通貨の流通量があまりにも離れすぎるとその通貨の信用は無くなっていく

実際の経済力を無視して通貨(お金)を発行し続ければ
その国の通貨は信用を失い暴落するしかない
まともな商取引の道具として使い物にならなくなるのだ
ハイパーインフレというモノだ

お金は、誰かが銀行から借り入れる事で生まれる
誰かがお金を借りると言うことは、そのお金が仕事をしてくれると言うことだ
仕事をするとは誰かの役に立っていると言うことでもある


誰かの役に立つ(与える愛)という思いで成された仕事は
そのお役立ちの成果が生まれ、その成果の価値が更なる循環をしていく
銀行から借り入れ金融資産が増えた分を実体経済が追いかけて行く
その国の通貨量が増えた分をGDPが埋めて
さらに追い越して行くことになる
そうやってバランスを保ちつつ成長していく

もし、この借入や財政出動された資金が与える愛と反対のモノに使われるなら
奪う愛の考えのもとで使われるなら
そのお金がした仕事の価値が循環することなくそこでストップしてしまう
お金の量は増えるのだが、GDPはやがてストップしてしまうだろう

まさに、日本経済が陥っている現象なのだ

日本の場合過去に積み上げた蓄積が有るからまだ良いが
これが世界中で起きた場合どうなるかと言うことだ

中国の経済事情を良くは知らないが
誰も住まないようなマンションが建てられたりしているという
まさにMMT理論で独裁政権故に通貨の供給を盛んにして
財政出動で住宅を建設するなどの仕事をしてる訳だけれど
それでGDPを押し上げようとしているのかもしれないが
その住宅が誰かの役に立ち更なる価値を産み出すのなら良い循環をしてくれる
しかし、ゴーストタウンをいくら造っても実際のGDPを増やしていくことは出来ない

中国は、MMTで軍事費を膨大させている
この軍事力が価値を生むためには、もちろん国防が基本だが
行き過ぎた軍事費は、その価値を回収しようとすれば侵略に向かっていくしかない

中国などの唯物論国家では「与える愛」などという青い考え方は理解できないのだろうが
世界中が「奪う愛」という
自分の利益、表面的な成果ばかりを見て
他者に奉仕する事、世界に奉仕する事、神に奉仕すること
これら「与える愛」の本質を理解しないで経済活動をしていくなら
世界に充満しているお金の量と
実体経済のGDPの額には大きな開きが生まれる事になる

現時点でリーマンショックが起こった時の数倍の開きが出ていると言う
この実体経済とかけ離れたお金が出回り
そのお金が与える愛という仕事をして世界を潤していくなら問題ないが
加速度的に大きく開いている

誰も住まない住宅を造るためにお金を産み出しても
その産み出されたお金が住宅販売という対価を生まず
人々に活用されその価値を活かすことが出来なければ
そこにつぎ込まれた資金の回収は出来なくなる

独裁政権なら それを一時ごまかすすべは有るのかもしれないが
理屈からして隠し通せるモノではない
いずれ破綻することになる

結局何がポイントになるかというと
お金を使いながら成長させることが出来ていないということだ
成長とは反対の事にお金を使っているからGDPは増えてこない

金融機関からお金を借り入れ
借り入れた以上の価値を産み出すことが出来ているなら
GDPの額は、増えた通貨の量(借入額)以上に増えてくるだろう

実際はその真逆で、世界のGDPは追いつく兆しは無い

そこで何が次に起きるかというと
借金の返済が出来ない所が必ず出てきて
その信用不安が広がり破綻している所が次々と表面化していくことだ

仕事は、お役立ちそのものであり
はたらくとは、はたを楽にするという事
仕事とは、与える愛そのものである

この与える愛の精神が理解できず
奪う愛の中を世界が生きていくなら
世界は必ず破綻する

資本主義に問題が有るのでは無く
その資本を使う人々のマインドに問題が有る時に見苦しい姿を呈することになる

それを避ける術は、仏法真理の中に有る
与える愛と奪う愛を分けるモノ
善悪を分けるモノ
このことを正確に見極めることは難しいけれど
正しき心の探究」する姿勢さえ有れば大きく道を踏み外すことは無いだろう
正しき心の探求とは神仏の心(願い)の探究だ
信仰心(宗教)が不可欠なことは言うまでもない

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