陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-12-04

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共産主義

世の中には色んな意見が有り対立する場合が有る
この構造も陰陽で観ることが出来る

意見の違い、その対立の原因は単純だが難しい
対立の原因は、誰でも感じることだろうが
自分たちの考えが正しくて
自分たちに対立する反対の考えが許せない事だ


その意見の対立を双方とも客観的に観ようと努力し
自分の利害や意見を離れて公平な立場から観て正しさを探求するのだろうが
それでも難しい

その原因は、何かと考えると
結局は、その人の考え方の基礎になる世界観が確定しているからだろう
その世界観、要するに、その人の悟りの部分を変えることは困難だ

悟りと言っても難しいが
要するにフラクタルの森での陰の部分
その奥に有る時間、空間、人間に対する認識の違いだ

画像の説明

この世界観の違いが根本原因となって色んな違いが生まれてくる
その中でも一番重要なのが主体の部分だ

主体(誰が)なる自分が有り、そして、課題(何を)の中にはその対象が有る
環境であったり
事件や事故であったり
他者であったり
様々な事象が客体として存在する

要するに主体と客体であり
「だれが 」(主体)と「なにを」(客体・課題)だ

課題があり、それに対する考え方、意見が分かれてくるが
主体(自分)をどこに置くかで違ってくる
その自分をどのように認識しているかで違ってくる

人間が神仏の子であると思っている人と
人間は、偶然に生まれ勝手に進化してきた存在と観るかで違ってくる
これは哲学的論争ではあるが
この中には、多くの主体が含まれることになることを知っておく必要が有る

偶然に人間が出来たのと
神様の願いが有って造られたのと
その中間には色んな主体が存在する

「自分が」考えるのだが
その自分の置き所が全く違ってくる
その違いが意見の違いを生んでいることに気づく必要が有るのだ

私の姉夫婦は共産党員だ
優しくて学力も優秀で
私もその姉の影響も有ったのだろうが左翼的傾向を持っていた
今は、完全に姉たちの考えが間違っていると思うのだが
その理由をとことん考えてきてその原因がこの部分なのだ

目に見えないモノを観ようとしない
神も居なければ
死んだら終わりだと思う世界の中で
自分たちの心の優しさを押しつけようとする所にムリが有る

要するにこの部分が一部で言われている所の
「地獄への道は、善意で舗装されている」という言葉だ

姉たちは、良かれと思って意見を言っているのだが
私の立ち位置からすると間違っているから止めてくれとなる

私の場合は、どのような自分が存在するのかというと
その主体をどこに置くのかというと
自分の中に
地球神という立場での地球レベルでの考えが有る
(もちろん、努力目標である)
そして、日本という国家レベルでの考えだ
そして、家庭レベルでの考え
そして、個人レベルでの考え

個人レベルで考えるにしても客観的に考える場合に
相手の立場に立つ事ももちろんある

要するに、主体と言っても、自分と言っても
その立ち位置は、次の4つくらい有るのだろう

個人・家庭(企業)・国家・神

共産主義、社会主義、リベラル、左翼傾向を持つ人達の特徴は
その世界観が小さいが為にどうしても個人レベルで物事を考えてしまう
神の立場に立って考えることなど無くて
逆に自分を神の立場に持ってくるのだ

グローバル企業なども国家を無視して自分たちを最上位に持ってくる
税金など国に納めなくて済むように努力する
国家を主体として全体を考えることが出来ないで居る

中国や北朝鮮の唯物論国家では
神仏など認めないので
その集団のトップが神様の立場に立ってしまう
(戦前の日本の場合は、天皇がトップでは無く、八百万の神々がおられ天照大神がおられた)

世界観、宇宙観がとても小さいから
小さく出来上がってしまい
周りとの軋轢を生む

日本人の多くも
今、目に見えない世界を無視するために同じような状況だ
目に見えない世界を理解できるかどうかは
頭の良し悪しとは全く関係は無い
小さな神様が乱立し対立するしかなくなってしまう

ただ、愚か者とはならないでと願うばかりだ

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