陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-10-25

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真実は?

神も在り
死後の世界も
天国も地獄も在り
この世とあの世を繰り返しながら永遠の命を生きている存在

そのような右側の認識
こちらが真実ならばどのような生き方になるのか

画像の説明

正直に生きることが是であり
どのような努力もムダにならず
魂の記憶となり糧とすることが出来
人生を一生懸命に生きなければもったいない事になる

そして、無関係と思われる地球の裏側に住む人達も
他の惑星に住む人達も
見た目が違っていても同じ神の子であり同胞でもあり
協調して学びあう必要も有る

そのような合理的な見方も出来るが
感覚的に見てもこの見方には整合性がある

私達の心の中を覗いてみると
そこに有るモノは、
生存の為に必要な本能の部分があり
これは大きな存在感を占める
食欲、性欲、睡眠欲、金銭欲、支配欲など
欲にまつわる様々なモノがあり
これは陽の部分であり表面的な部分だ

もう一つ、心の奥を覗いてみると
潜在意識と言えば良いのか陰の部分が在る

自分自身の存在意義とも関わる部分
自分という存在が確認されしみじみとした幸福感に包まれる部分がある
自分という存在が何らかのお役に立ち
他者から感謝の念が向けられている時に感じる喜び

たとえ、他者から感謝されずとも
たしかに、より素晴らしいことの為に役に立つことが出来たという喜び
この「お役に立ちたい」という喜び
そのために自分が成長できる可能性と
成長しているという喜び

この喜びには、大きな秘密が在るようだ
この単純な喜びは、どんな人の心の中にも在る

たとえ、やくざ家業で道を踏み外したような人であっても
人の役に立ち感謝されるということは心の大きな糧である
勘違いしている為に、
表面的に見た目での凄さをアピールしようとしてムリをする場合が有り
格好を付けるために逆に他者の迷惑になるようなことをしてしまう事もある

他者から一目置かれたいと言う気気持ちが強く出過ぎて
結果にこだわりすぎるために
自分自身の存在意義と関わる部分
他者への愛の思いとその行為
その原因部分を見忘れているだけなのだ

本質的には、愛を与えたいという気持ちが
心の奥底の最深部には有る

どうやら、この「愛」「役に立ちたい」と言う思いは
私達全ての存在が
神の「愛」という願いによって創られている為に備わっている悟性なのだろう

私達の存在自体をいくら考えても
その理由のその答えは見つからないが
存在しているという事実が有る以上
必ず原因が有る

その原因は、「神の願い」としか思えないのだ

同じ願いが、神仏の子である私達の心の中には在り
この世でそれに反した生き方をして
死後の世界、本質の世界に帰った時に
その本質的な喜びと無関係でいたことを恥じることになるのだろう
自分自身の愛と神の愛とのあまりの格差に地獄界を感じてしまう
そのために、現実的な地獄という世界が有り反省の時間が与えられているのかも知れない

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