陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-10-24

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宗教は大衆の麻薬なのか?

私達が住んでいる世界、
この宇宙が目に見えているだけの世界であり
死後の世界も神なる存在もないのであれば
それなりの生き方が必要になる

要するに次の図の左側の認識が正しい場合の生き方である

画像の説明


あの世も無く、神も無く
偶然に生まれて生きているだけであるなならば
宗教とは生きている人に対する気休めであり
マルクスの言うように宗教とは大衆の麻薬である

心を病んだ時の対処療法としての麻薬のようなものであり
その宗教にのめり込みすぎている人は、麻薬の常習者のような者達だ
そんなシャブ中毒のような人達に政治は任せられない事になる
しかし、現実には世界中に宗教政党は先進国に多数ある

死後の世界は無いので有れば、
仏教の葬式で戒名などというあの世で使うような名前など不必要なのに
その戒名にバカ高いお金を支払い、位によって高下が決まるようなことをやっている
そんな宗教というカルトに騙されている人々もいる

死ねば終わりなら、自殺も有りと言うことになる
困ったこと、つらいことが有るならば
そこで自身の人生を終わりにしても
友人や親戚を一時悲しませるだけだ

やりたいことを我慢するのも問題だろう
自分の欲を満足させられないと言うことはバカ者である
法律などうまくかわせば良いことだ

神なる存在も無いのであれば
悪事も隠し通すことが出来れば問題は無い
ウソを言い放題でも相手にそれを信じ込ませることが出来ればしめたもの
ウソも百回言えば真実になる
そんな国家が日本の周囲には有る

このような認識が正しいので有れば
中国共産党や北朝鮮は立派な国だ

その体制のトップが神のような者であり
その独断で全てが決定できるので優柔不断と言うことが無い
逆らう者は、簡単に粛正し排除すれば良いだけの事である
それだけの強さを持った者がトップに有れば
その国は安泰だ

このような国家は強い
これがおそらく主体思想というチュチェ思想と言うようなものかも知れないが
日本でも、それに似た思想が蔓延しているようだ

今の政権も、経済界もそれに毒されているのだろうか
神をも恐れず
悪事を裁く者が居ないのをいいことに国家ぐるみの犯罪を続けている

そして、唯物論、無神論の代表的存在である中国共産党の主席を国賓として招くという

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