陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-10-17

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犯罪を考えてみる

世界中で普通に犯罪とされている事には何が有るだろう

殺人・傷害・泥棒・詐欺・監禁・売春買春・恐喝・強制わいせつ・など

犯罪とは何かと考えると
結局は、自と他の関係の中で
他者を不幸に陥れること

他者を不幸にしても
自分が利益を得ることが出来れば良いとする考えに対して
その防止策として
犯罪とされ罰則が決められている


しかし、
人、時、所によって犯罪とされる場合とそうでない場合とがある
売春買春などは、日本でも戦後しばらくは昔から合法であり罰せられることは無かった
今でも援助交際という売春買春があり曖昧な部分もある

殺人の中でも自殺に関しては、宗教によって違う
犯罪者に対する殺人行為も法律で決められれば合法であり
魂への反省を求める機会として考えれば必要な面も有るが
紛争や戦争などでは避けて通るわけにはいかない

色んな角度が有り一律で決められないのだろうが
自と他の関係において他者から奪うことに規制がかかる理由は
良い循環を妨げるからだ
自分にとって良いと思われていても時間と共にそのしわ寄せは自分自身に返ってくる

国家レベルでも犯罪行為になるようなことはやるべきでは無い
その努力が足りない時に仕方がない面が有るが
紛争における殺人や死刑でもその前にやるべき事が有る

犯罪の元になっているのは人の心なので
宗教教育などの啓蒙活動がうまく働けば犯罪は圧倒的に少なくなる
今でもそうだろうが、江戸時代、世界から見れば犯罪は少なかったという
神道が有り仏教が有り、儒教もあり
神、仏、天からの視点が有ることで「恥を知る」文化が醸成された結果だと思われる
これが世界中に広がれば犯罪は世界から減少していく

ただ、宗教間での争いは絶えない面も有るが
原因は、やはり自と他の関係で自己中心にしか観ることが出来ない為であり
無宗教・一神教・多神教と大きく宗教観が分かれるように
この課題は、宗教といえども理解の違いがあり難しい問題では有る

しかし、紛争や戦争の多い宗教は何かというと
一神教と言われるが、一神教以上に自分を中心に置く無宗教だ

世界で無宗教が流行ったのは、共産主義が生まれてからだろう
日本でも、戦後、基本的な宗教教育さえ否定され
無宗教という宗教が蔓延し
神、仏、天などからの視点で語ることが非科学的とされてしまった
天災などで神罰、天罰などと言えば袋だたきにあってしまう

無宗教の結果、科学万能主義になり見えないモノ、証明できないモノを否定するようになった

おそらくそのせいも有って結果主義になっているからだろう
国家レベルでやるなら仕方が無いような雰囲気となり
財政再建の為なら
財源確保の為なら
仕方が無いとして国家が犯罪に手を染めている

その犯罪の中で大きなモノが次の二つだ
この犯罪行為を止めることをしなければ
日本は、必ず破壊される

先の戦争で日本は、人種差別という当時の世界常識に追いやられ
他国との軋轢の中、様々な締め付けで開戦に踏み込むしか無かった事情が有る
当時の事情と比較することは出来ないが
戦争であっても他者を抹殺するという方法はその反動を引き寄せる事になり
結果として、日本は、大きな犠牲を払うことになった

歴史の中で避けては通れなかった道であり
その御陰で、搾取的な植民地は無くなり東南アジア諸国は独立し
今では人種差別を公然と言う者も居なくなった

因果の流れから言っても
可能な限り犯罪となるような行為は慎むべきなのだ
しかも、次の問題は、国内だけで対応できることなのに
その努力をすることなく安易な方法で解決しようと
犯罪行為に手を染めるべきでは無い

因果の理法に基づいて必ずその報いは受けることになる

その2つの犯罪行為は

①公的年金制度
  詐欺のようなネズミ講になっている公的年金制度
②税制
  盗賊のような有る所、取れる所から盗ろうとしてする税制

社会保証でバラマキ、国民を甘やかせることで財政が悪化し
財政再建しようとして増税だ

この循環が止むことがなければ、出てくる結果は明らかだ

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