陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

FrontPage/2019-09-26

Top / FrontPage / 2019-09-26

思いは実現する

日本経済が、ここ30年ほど成長していないのに
政府の財政赤字が大きく膨らんでいる現状をどう観るか

政府の財政赤字とは、政府の借金であり、国民の借金では無いこと
そして、借金には悪い面と良い面が有り
緊急時とか成長していくためには借金は不可欠で有り
積極的に取り組まなければならないこと

そして、政府がする借金には、国債によるモノであったり
普通、企業や家庭でする借金と違い
政府自体が発行するお金で造り出すことも出来るために
借金を増やすこと自体難しいことでは無い

しかし、企業や個人で借金するにもその背景には「信用」が不可欠なように
政府がする借金にも「信用」が不可欠であり
政府が独自に自国通貨を発行するとなれば
その「信用」の重要性は特に増すことになる

要するに、その「信用」を保つことが出来るなら
その借金がどれだけ膨らもうが大丈夫なのだ

その事を押さえながら
この借金の問題を企業や個人に当てはめて考える必要が有る


フラクタルの森的な見方は、
「信用」(陰)と「価値」(陽)であり
この両方の視点が必ず必要なのです

個人を対象にして考えるのがシンプルで分かりやすいだろう
どんな人になら、あなたは、お金を貸すことが出来ますか?

国家を個人に置き換えにくいかも知れませんが
こう考えるなら全てが見えてきます

その人の才能や人徳、様々な要素が有るでしょうが
お金を貸しても惜しくないと思えるような人が居ます
たとえ貸し倒れになる可能性があったとしても
大金であっても貸したくなる人は居ます

それは、成長する意欲と
その成長をより多くの人のために使っていこうとする意志です

この「与える愛」故に頑張って成長しようとしている存在には
お金を貸す側にも惜しみない支援という意欲が出てきます

その存在自体に価値を見いだすために信用がおけるのです

では、今の日本の政府に
日本の国民に信用がおけるでしょうか

与える愛でなく、奪う愛、奪うのみ
そんな政治家や企業や国民に信用など有りません
自分さえ、自分たちさえ良ければ
自分たちさえ成長すれば良いというような考えの人達に
信用を与えるのは、同類の人達です

経済の循環は、仕事が愛の具体化である商品やサービスを産み出し
それが価値を産み出すことでお金(代金)となり
そこから労働に対する価値として給与(所得)が生まれ
その所得が生活を支え生活を潤し
更なる仕事への意欲となって循環していきます

&show(): The style ref(filename,pagename) is ambiguous and become obsolete. Please try ref(pagename/filename);

その仕事に込められる「愛」の質が問題であり
その質という価値がこの循環の鍵となります

そして、人々が
その仕事の商品やサービスの価値をどのように見るかです
商品やサービスには色々あります
神様から見てどうでも良いモノもあるでしょう
人々を堕落させるような商品やサービスも有ります
それを人は、神仏の子である本質部分で認識することも可能です

ただ、神仏の子であっても目先の事、享楽的なものに流されがちになるのも人間です
甘やかせ堕落させていくようなモノには成長が期待できない場合に信用は消えます

今の現状は、今の年金制度というサービスも
犯罪であるネズミ講のようになってしまい税金の投入で維持しています
本来、犯罪に信用と価値は有りません

政府がやっている公共サービスですが
そのために必要として資金を集めていろんな公共サービスを国民にしてくれていますが
その資金の集め方が、泥棒と一緒の所が有るのです
ネズミ小僧や石川五右衛門のようにお金の有るところから取り上げ
国民に配っています

相続税や贈与税、いろんな税金が有りますが
まさに、有るところから、取れるところから盗ろうという姿勢です
このような行政サービスに信用をおくわけには行かないのです

結局は、政府のしている仕事に「信用」が無いことを
財務省の役人にしろ政治家にしろ、心の奥の方で神仏の子として
知っているところが有るために
これ以上借金を重ねても良い訳が無いと気づいている部分が有って
知らず知らず、緊縮財政をやっているようです

仕事の質を変えるべきなのです
そして、成長する方向に舵をきり
思い切って借金を増やしてでも
それ以上の価値を産み出す覚悟が居るのです

素晴らしい、神仏が自発的に加護を与えたいと思うような
商品やサービスを産み出す努力と精進です

老後、安穏と暮らせれば良いなどというだけでは
神仏からの加護は限定的なモノになるでしょう

まして、国民を甘やかし堕落させるような商品やサービスが
この地上に蔓延するようなら
神仏からの信用は、その逆のモノとなって現象化するでしょう

現状、世界中が、その逆のモノに被われて居るように見える

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

備前焼