陶玄郷

フラクタルの森で薪だけを使い備前焼を焼きながら迷走、瞑想している玄明のホームページ

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無宗教・一神教・多神教・至高神

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上の図で見て、あらゆる事象の元になっている部分が世界観(宗教観)です
時間・空間・人間に関する認識であり悟りでも有ります

この悟りを大きく分けると4つの種類が有るという事であり
その世界(土台)の上に様々なものを人は載せていきます

世界観には、細かく分けると数限り無く有りますが
その中でまた様々に分派しているんで分けきることは出来ません


大きなものだけを見ても
キリスト教・イスラム教・ユダヤ教・仏教・ヒンズー教・道教・儒教
色々有り、一神教的なものや多神教的なモノが有ります

仏教でも基本は多神教的なのですが
一神教的な日蓮宗の不受布施派のようなものも有ります

そして、それらの中で派を競い自分たちの神が最高神で有るように見ます
現実としては、自己中心的な視点での主なる神です
しかし、真実の面から見れば、それぞれに個性が有りつつも
指導的な立場に立つ神霊も有ることは想像できます

現実として至高神を感じるか、真実として至高神を見ようとするかの違いが有るでしょう

至高神考える時にはを、自己中心的な視点を離れて
より至高なる神を見る必要があることは言うまでも有りません

一番問題が起きるのは、無宗教の場合です

これも明らかに宗教の一種類であることを知っておく必要が有ります
この視点は、非常に重要です
ただ、ここにも現実としての無宗教と
真実としての無宗教がこの中にも在ります

日本人の多くが「無宗教」と答えますが
これは、多神教でありながら特定の宗教に帰依していないからという理由での無宗教です
もう一つは、本当の意味での無宗教です

この後者のことを考えなければならないのです
この、本物の無宗教の人たちは
結論から言えば、悟りが低いのです
魂が発展段階の低い位置で低迷していることを示します

しかし、この無宗教の人たちは、強いのです
何故なら、自分たちが主体なる神になるからです
迷うことなく自己中心で判断できるので行動も早く
その勢いも強くなります

中国共産党や北朝鮮は、無宗教国家であり
そのせいで強いのです
ですから、この体制を崩すことは非常に困難になります
優柔不断とか躊躇が無く強権を発動しアメとムチの使い方がはっきりしているからでしょう

これは、言い換えるなら人間としての本能を持ちながらも
動物の本能から脱皮できていない状況です
より高次な視点で考えることが出来ずに
自己中心的にしか考えることが出来ないのです

中国共産党や北朝鮮だけでなく
世界中、日本にもこの無宗教の信者はたくさんいます
本当の意味での無宗教の人たちは
きわめて自己中心に考える傾向が有り
その中で思想を構築するので紛争は耐えることが無く
無宗教・一神教・多神教・至高神
この左に寄るにつれて紛争が常態化し
無宗教が関わる紛争、戦争が一番多いことになります

今まで、いろんな人に質問をしました
あなたの宗教は何ですかという問いに対しての答えに
自分自身が神だと思っているという答えが返ることが有ります

確かに、人は皆、神仏の子だと私は思っているので
完全な間違いではないと思うのですが
どうやら、間違った意味でそのように思っているフシが有るのです

人間とは、考えるにしても
自分という自己の中で考える生き物です
それが、無宗教の信者になるとその自己中の感覚がさらに強くなり
社会を乱れさせ紛争の絶えない世界に変えていきます

そうなってしまった原因は
戦後、日本に置いて基礎的な宗教教育が成されなくなってしまったせいです
唯物論、無神論のマルクス教が教育界の主流になって
高学歴の人ほど「無宗教」の信者にされていったからです

基礎的な宗教教育を取り戻す必要が有ります

世界史を見ても、宗教を背景にしない歴史は有りません
宗教の本質を理解しないで世界を語ることは出来ないし
未来を創造することが出来ません

無宗教という宗教観が支配する未来とは何だろうかと考えると見えてくることです

頭が良くて強い者、強欲強欲な者が勝ちます
愛とか慈悲とか言っている者は勝ち残ることは難しいでしょう

神の願いがどこに在るのか考えて見ると

進歩と調和です
「進歩せよされど調和せよ」
(これは、大川隆法総裁から学んだことです)

強さは大切ですが
優しさが無ければダメだと思う

高さは求められつつ横への広がりがなければ
その山は、すぐに崩れるようなものです

日本の富士山のような美しく高い山を神は求められているのでしょう

宗教を神の視点で観るならば
優しく見守ってくれ加護を与えてくれる部分と
厳しく成長を願ってくれている部分と
陰陽両面があることを信じなければ
蛇行してしまいます

陰陽の複眼で観る必要がある
人は、自と他の関係で成り立っています
その他の中には、神なる存在も在ります

人は、他者の営みから生まれます
その他者を原点にまでさかのぼってイメージするなら他者と神は一体です

全人類の親である至高神を求める旅が非常に大切だと感じます



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